浦賀園と呼ばれ、明治26年に開園された、横須賀では最古の公園「愛宕山公園」です。咸臨丸出航の碑もあります。

 

この先の石段を上るので、浦賀港を見下ろす景勝地です。

 

此の山は陣屋山とも呼ばれ、江戸時代初期には、三浦の代官:長谷川長綱の館がありました。

 

此の公園が開園されたきっかけは、浦賀奉行所与力:中島三郎助の招魂碑を建立するためでした。ペリー艦隊来航の、ある意味日本の危機にあって、冷静に応接した中島三郎助の功績は、大なるものがあります。

 

招魂碑は明治24年の建立ですが、碑文は、中島三郎助の箱館時代の同志で、ときの外務大臣:榎本武揚が揮毫しました。

 

中島三郎助は、ペリー提督応接の後、西洋式造船技術をオランダ人から学び、我が国最初の洋式船「鳳凰丸」を浦賀で建造。長崎の海軍伝習所の第一期生でもありました。

 

三郎助は漢詩や和歌、俳句を嗜む、当時の浦賀では有名な文化人でした。

 

明治2年、箱館五稜郭に榎本武揚などと立て籠もり、2人の子息共々、壮烈な戦死を遂げましたが、本当に惜しい人を亡くしたものです。

 

一方、「咸臨丸出航の碑」は昭和35年に「日米修好通商条約締結100年」を記念して建立されました。軍艦奉行:木村喜毅(よしたけ)、艦長:勝海舟ら乗組員の氏名が刻まれ、碑の先端はサンフランシスコに向けられています。

 

 

                            (青竹:NO.3816)