黒船が来航し浦賀が江戸湾防衛の最前線になると、浦賀へ来る人が多くなりました。しかし浦賀は宿場ではないので、船乗り以外の旅人の宿泊は禁止。
知人宅に宿泊を依頼したり、通行手形を所持する人は、名主の紹介で宿泊先を探したりしましたが、それも面倒です。
文化8年(1811)浦賀に3軒の旅籠が幕府の許可を得て開業しました。東浦賀の徳田屋と西浦賀の吉川屋などです。
特に東浦賀の徳田屋は、一躍、文化人を中心に人気の宿となりました。
吉田松陰が、師の佐久間象山らと、湾岸防衛や今後の日本が執るべき道について議論したとの記録も残っています。
徳田屋では、番所の船改めを経ずに房総へ直行出来る船便を有していたとも言われています。
(青竹:NO.3815)