安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。

 

途中で熱海で下車。まずは「MOA美術館」へ。この「MOA美術館」は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」、野々村仁清の「色絵藤花文茶壷」と「手鑑かん墨城」の3点の国宝を含む、日本・中国を中心とした絵画・書跡・彫刻などの名品3000余点を収蔵しています。

 

この雅な唐門から、「茶の庭」へ入ります。

この唐門は、大磯にあった三井家別邸城山荘にあったものです。

 

ときは3月初め。紅梅がほころんでいます。

 

この「茶の庭」は、茶室「一白庵」、「光琳屋敷」などが設置された日本庭園です。

 

季節により、初春は梅、初夏は新緑、あるいは桔梗などの草花が彩る、散策にもってこいの庭園です。秋には、150本以上あるモミジが紅葉し、熱海で有数のモミジ狩りスポットとして人気です。

 

此の「石造国東塔」ですが、国東半島に多い「国東塔」です。元来は納経や供養などのために造立されたもので、鎌倉から室町期のもののようです。この塔は、保存も良く、形姿が良く整っています。

 

向こうが「光琳屋敷」で、やはり梅が似合いです。

 

大藩:備前池田家の家老:伊木氏の屋敷にあった茶室です。伊木氏の屋敷(跡)は、岡山城の大手前で見たような。

 

襖に樵夫の図があるそうで、「樵亭」と呼ばれる茶室です。

 

「賤ケ岳の七本槍」のひとり、秀吉亡き後の豊臣家の家老を務めた片桐且元の屋敷門です。この門は、且元が、薬師寺の普請奉行を務めたときの宿舎の正門でした。

(且元は茨木城主)

 

家康が大坂城内の貯蔵金を減らそうとし、全国の寺社の改修工事を推奨した一環として、薬師寺の普請がなされていたのでしょう。ご苦労さまでした。

 

左が茶室「一白庵」です。此の日も、茶会が行われていました。

 

日本庭園につきものの、十三重宝塔です。

 

鎌倉期らしい重厚さです。先端の宝珠は欠けていますが、形姿は、よく整っています。塔身にある薬研彫の梵字が、特徴的です。

 

                           (青竹:NO.3788)