「高田屋嘉兵衛資料館」です。
かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1856)に製作された、最初の国産ストーブ(復元)なども展示しています。
高田屋嘉兵衛は、北前船の船頭として活躍し、日本とロシアの外交紛争「ゴローニン事件」の解決に尽力しました。
司馬さんが「菜の花の沖」の主人公としています。
嘉兵衛は自ら「ディアナ号」に乗船し捕虜となりながら、陸とディアナ号を往復し、両国の斡旋に奔走します。・・・・・・
・・・・・・日本側の交渉は、嘉兵衛に任せられた。町人が外交交渉にあたることは本来はあり得ないが、幕府は嘉兵衛の能力を買い、ロシア側も深く信頼した。
交渉は無事に済み、リコルドとゴローニンは、感激の再開を果たす。
・・・・・・嘉兵衛の仕事は終わった。ディアナ号が函館を去る日、嘉兵衛は櫓舟の一艘に乗って、異国の友人たちを見送った。・・・・・・
デイアナ号が湾を出たとき、帆を開いた。
・・・・・・そのとき、リコルド以下全ての乗組員が甲板上に整列し、曳綱を解いて離れてゆく嘉兵衛に向かい、
ウラァ、タイショウ
と、三度叫んだ。嘉兵衛は不覚にも、顔中が涙でくしゃくしゃになった。
・・・・・・リコルドたちは、嘉兵衛の功績、そして友情に深く敬意を表して、北へ去っていった。
(青竹:NO.3787)