弁天崎台場からの坂を上ると「称名寺(浄土宗)」があります。

 

正保元年(1644)亀田村にて創建され、宝永年間(18世紀)に現在地へ移転しました。箱館開港時には、英仏両国の領事館になったこともあります。

 

箱館大火を経て、鉄筋コンクリート造の本堂が構築されました。山門も近代的です。

 

此方は、鉄筋コンクリート造の本堂です。

 

「燃えよ剣」から。

 

(歳三の)死体は、函館市内の納涼寺に葬られたが、別に、碑が同市浄土宗称名寺に、鴻池の手代友次郎の手で建てられた。・・・・・・

 

大鳥の「献金徴収案」を歳三が、「五稜郭が亡びてもこの町は残る。一銭でも借りあげれば、暴虐の府だったという印象は後世まで消えまい」と言い沙汰やみとしたことを感謝し、友次郎が、市内の商家から金を集めて建てたものです。

 

併せて、高田屋嘉兵衛の顕彰碑も建っています。

 

 

司馬さんは、お雪に、歳三の墓参りをさせています。

 

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明治15年の青葉の頃、箱館の称名寺に、歳三の供養料を納めて立ち去った小柄な婦人がある。寺僧が故人との関係を尋ねると、婦人は、滲みとおるような微笑を浮かべた。が、何も言わなかった。

お雪であろう。・・・・・・

 

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この年の初夏は、函館に日照雨(そばえ)が降ることが多かった。その日も、あるいはこの寺の石畳の上に、明るい雨がふっていたように思われる。・・・・・・

 

明るい近代的な本堂と、歳三の碑は、ある意味、よく似あっています。

 

                             (青竹:NO.3780)