司馬さんが「江戸時代の日本人のうちで最も英知と良心と勇気があった人物」と評した高田屋嘉兵衛。高田屋は出身地の淡路に本店を、箱館に北前船の拠点を置いていました。今でも、函館には多くの足跡を残しています。
ベイエリアに「箱館高田屋嘉兵衛資料館」、函館山ロープウエイ下に「高田屋嘉兵衛像」そして「高田屋屋敷」跡です。
高田屋の全盛期は、嘉兵衛のあとを継いだ金兵衛(嘉兵衛の弟)の時期でした。幕府の許可を得て、此のエリアに5万坪を拝借し、その一角に豪壮な邸宅を建設しました。
その規模は、敷地面積で約2町(約220m)四方もあり、高価な庭石なども置かれていました。
嘉兵衛は北洋漁業の先駆者としてのみならず、公共事業や慈善事業にも、大きな足跡を残しました。
(青竹:NO.3776)