宝来町の函館山ロープウエイ下に巨大な「高田屋嘉兵衛」像が立っています。嘉兵衛の功績を讃えると共に「函館開港100年」を記念して、昭和33年に立てられました。

 

この姿は、ロシア軍艦ディアナ号が囚われていたゴロヴィニン船長を引き取るために箱館港に入港した際に、立ち会った時の様子をイメージして造られています。

 

司馬さんは「菜の花の沖」の連載3年後の洲本市民会館での講演会で、嘉兵衛を「江戸時代で一番偉い男」と表現しています。

 

「人の偉さは測りにくいものですが、その尺度を英知と良心と勇気ということにすれば、江戸時代を通じて、誰が一番偉かったでしょうか。」

 

「私は高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも、二番目を思いつかないほどに偉い人だと思っています。今生きていても、世界のどんな舞台にたっても、世界史的に見ても偉い人でした。」

 

嘉兵衛の北前船は、事故が無いことでも有名でした。北海道に夢を託し、寒村だった箱館を拠点とし、根室更には北方4島の国後、択捉島へと、独自の航路を開拓して向かいました。アイヌ人にも優しい人だったといいます。

 

44歳のときに、ロシア軍艦ディアナ号に拿捕され、カムチャッカへ捕虜として連行されます。嘉兵衛とディアナ号船長のリコルドは、厳寒のカムチャッカの同じ家の同室で半年間を過ごすことになります。

 

その間、嘉兵衛とリコルドは、お互いの言葉を理解し、お互いの立場や事情も理解しようとします。そして、嘉兵衛は「ゴローニン事件」で日本側に捕らえられていたゴローニンと7名の部下の無事を伝え、リコルドは、日本を侵略する意思のないことを伝えます。

 

嘉兵衛は、両国の架け橋となり、この像の背景であるゴローニンの開放に立ち会うことになります。

 

一介の町人である嘉兵衛が、日本国を代表するような気持で交渉に臨んだからこその両国の和解で、当に、司馬さんの言う「江戸時代の日本人で一番偉い人」だったのでしょう。

 

                          (青竹:NO.3775)