繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町」です。

 

後者は、最勝寺を筆頭寺院とし、宗派別で言えば、「真言宗1(長勝寺),天台宗2,浄土宗6,浄土真宗9,日蓮宗6の合計24寺院」です。

 

まずは「五重塔」が市内いたるところから望見される「最勝寺」から。

 

江戸時代には、此処には「大円寺」がありました。「大円寺五重塔」でした。

 

明治の廃仏毀釈時に、大円寺は大鰐町へ移転し、その跡地に「八幡宮の別当寺」だった「長勝寺(寺領:300石)」が移転してきました。

 

此の五重塔は、寛文4年(1664)4代藩主:津軽信政公の時代の建立ですが、初代:津軽為信公の津軽統一の過程で戦没した人たちを、敵味方の区別なく供養するために建立したと言われています。

 

 

「最勝寺」は天文5年(1536)堀越にて創建されたと言われています。慶長17年(1612)に賀田にあった「八幡宮」と一緒に弘前城下に移転してきました。

 

荘厳な山門です。

 

最勝院は、廃仏毀釈まで、八幡宮の別当寺院としての寺務を全うしたほか、「津軽真言五山の筆頭」でもあり、領内寺社の総取締りを行う「僧録所」として「津軽最高の格(寺領:300石)」を誇っていました。

 

 

仁王門の仁王さまです。

 

五重塔の総高は31.2m。地盤から相輪の最下部までが21.8m。露盤から宝珠までの相輪部分が9.4mあります。

 

心柱は角柱で、二重目で留まっています。

 

江戸時代の日本最北の五重塔で、その均整のとれた美しい姿は、見飽きることがありません。初層には、大日如来が安置されています。

 

 

藩政時代、長勝寺では、領内の天変地異や蝦夷地出兵などに際して、津軽家の祈願寺として祈祷が行われました。

 

本堂です。

 

津軽家の祈願寺らしい荘厳な本堂です。

 

此処にも「卯」像が。

 

空海さんも。

 

 

 

 

本堂から見る五重塔です。

 

やはり、東北第一の「美塔」です。1991年の台風で被害を受けましたが、建立後で初めてと言われる「全面大改修工事」が実施され、奇麗に蘇りました。

 

                          (青竹:NO.3731)