石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」としていたため、亀甲町と仲町(城の西側の下町と東側の上町の《中間の町》という意味)は、追手門の守りとして重要なエリアとされました。
今も、黒塗りの「薬医門」などの武家屋敷の遺構が残り、サワラの垣根や黒い板塀が、江戸時代さながらの佇まいを見せています。
まずは、「旧伊東家住宅(県重宝)」です。代々、藩医を務めた伊東家の住居として200年ほど前に建てられたものを、昭和53年に、当地に移築しました。
正面玄関を式台構とし、広間、座敷、次の間、常間を、ほぼ正方形とした配置になっています。当に、中級武士の居宅に似た、構造・特徴を持った遺構です。
この裏側に、「旧梅田家住宅」があります。
こちらは下級武士の住居で、昭和60年に、当地で移築・復元されました。
木造真壁造りの2階建て。屋根は寄棟造り茅葺き。
南側に、柾葺きの玄関が有り、広間と座敷、常居と台所、寝間があります。比較的簡素な造りです。
天井は張られず、屋根の茅が止められています。
近くに、笹森家住宅があります。
(青竹:NO.3727)