津軽氏は戦国時代の末期に南部氏から独立を果たしましたが、以来、南部氏とは犬猿の仲となりました。津軽氏、南部氏共に壮大な「弘前城」そして「盛岡城」を築城しましたが、津軽氏は南部氏の侵攻に備え、弘前城の南部に「出城の如き寺町」を、それも2カ所も構築しました。どの城下町にも「寺町」は存在しますが、弘前の寺町は、規模においても群を抜いており、当に、最強の寺町といえるでしょう。

 

まずは、「禅林街」から見ていきましょう。津軽氏の菩提寺である「長勝寺」を中核とした「禅林街」は、河川に挟まれた小高い丘に位置し、「長勝寺構え」と呼ばれる「黒門と赤門」で出入りを制約した限られたエリアに33もの寺院が密集しています。

 

まずは「赤門」です。

 

そして「黒門」です。「黒門」は、長勝寺の格の高さを象徴しています。

 

この道路を真っ直ぐに進むと、突き当りに「長勝寺」があり、道路の両脇に、ぎっしりと寺院が並んでいます。

 

黒門の右脇にある「藤先寺(とうせんじ)」です。すっきりとした山門です。

 

 

 

 

「藤先寺」は、天正元年(1573)に藤崎で創建され、大光寺(現:平川市)とします。藩祖:津軽為信の室戌姫(仙桃院)の弟で、幼くして亡くなった太郎と五郎を開基としています。

 

本堂も、すっきりとしています。

 

                            (青竹:NO.3707)