史蹟「瓦屋跡」です。
明治維新期、此処には「瓦屋」という旅籠があり、長州を訪れた志士たちが、多く宿泊しました。
その志士たちのうちの山田市之允(後の顕義)が瓦屋の娘と結婚します。
山田顕義については、「竜馬がゆく」に少し記載があります。晋作が亡くなる直前の場面。
高杉の下の士官は二人である。艦底で機関を動かしているのは土佐浪人田中顕助、それに甲板で砲を撫している山田市之允である。山田市之允は維新後顕義と名を改め、明治25年、49歳で死ぬまで主に法典の整備をやり、伯爵を授けられた男だが……。
山田顕義は、後に日本法律学校(現:日大)を開設しています。
龍馬も泊まったのでしょうか。
この先に「薬師堂」があります。
白狐が傷を癒していた小池を、住職さんが深く掘り湯田温泉を発見しましたが、「金色に輝く薬師如来像」も出土しました。
その薬師如来さんが祀られています。
(青竹:NO.3429)