幕末の尊王攘夷派の志士で、禁門の変で自刃した真木和泉を祀る「真木神社」です。和泉は水天宮の宮司で、「真木神社」も水天宮の境内に鎮座しています。

 

幕末期の有馬家は、尊王攘夷派と佐幕派が激しく対立していました。そんな中、藩主となった頼咸(よりしげ)は12代将軍家慶の養女との婚姻を決め、佐幕派の色彩を濃くしました。一部の尊攘派は脱藩して活動を始め、その中心人物が、真木和泉でした。

 

しかし戊辰戦争では久留米藩は新政府側に就くことになるのも、皮肉なものです。

 

真木和泉像です。

 

真木和泉は江戸遊学後、藩政改革を志向するも失敗。文久2年(1862)脱藩し、寺田屋事件で捕獲されます。しかし、後に許されますが、「八月十八日の政変」後の「七卿落ち」で七卿と共に西下します。

 

その後は、過激な長州藩と行動を共にし、元治元年(1864)禁門の変にて、来嶋又兵衛、久坂玄随と共に自刃しました。

 

藩政改革志向時の著書に「大夢記」、「義挙三策」があり、尊攘実践に「理論的根拠」を与えました。

 

その時の住居(復元)です。

「真木神社」の本殿です。

 

 

                                           (青竹:NO.3324)