「因幡薬師」。正式には「福聚山平等寺(真言宗智山派)」といいます。

長徳3年(997)因幡国司の橘行平が、その任務を終え京へ戻る途中、因幡国賀留津の海に、一体の「薬師如来像」を見つけました。とりあえずは、仮の御堂を建てて安置しておきましたが、何と、その薬師如来像が、京の行平邸に飛来したのです。驚いた行平は、邸内に仏堂を建立し、お祀りすることとしました。

 

「薬師如来像」は、度重なる火災にも逃れ現存しますが、嵯峨釈迦堂(清涼寺)の釈迦如来像、長野善光寺の「阿弥陀如来像」と共に、日本の三如来のひとつに数えられる優品です。

 

境内は広いとは言えませんが、洛中にあり、参拝の便は至便です。

 

 

                                         (青竹:NO.3192)