今の東京の基礎を創ったのは間違いなく家康ですが、意外にも太田道灌の人気があったりします。道灌が江戸城築城を始めたのが康正2年(1456)で、より早くはあるのですが……。

 

道灌は岩槻城や河越城も築城しており、それぞれ廃藩置県の時に、”埼玉県””入間県”の県庁所在地になりました。先が見える人ではありました(自らの死期は別として)。

 

 

此の像は、前の(有楽町の)都庁にあった像に似ています。

 

 

太田道灌は”扇谷上杉氏の家宰”で、劣勢だった扇谷上杉氏を山内上杉氏並みに成長させました。もと山内上杉氏の家宰だった「長尾景春」と関東各地で何年もに亙り争乱しましたが、道灌の実力を妬んだ主君の「上杉定正」により暗殺されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                     (青竹:NO.2429)