参道が合羽橋本通りに面する為、繁華街の猥雑さからは逃げられないものの、一旦山門を入ると、”禅刹”の深い趣きを感じることが出来ます。家康が気に入り保護した「海禅寺」です。家康の厚遇を受け、江戸初期には、大いに栄えたと言われています。その後、明暦の大火で堂宇を焼失し、湯島から当地へ移転しています。

 

 

当寺の印象は、やはり「梅田雲浜」です。

 

もとは小浜藩士でしたが、藩主酒井候に”海防策を献策したり国事意見書を提出した”ため、士籍を抜かれ牢人となりました。ペリー来航後国事に奔走し、「安政の大獄の最初の逮捕者」となりました。

 

「妻は病床に伏し、児は飢えに泣く、身を挺して直ちに戎夷を払わんと欲す」と悲壮な遺書を残して、預けられていた小倉藩邸で”当時流行していたコレラ”で亡くなりました。残された妻子も、貧困の中で病没したと言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

いかにも「禅刹」らしい、整然とした寺院です。

 

 

 

                                          (青竹:NO.2383)