「大蔵(大倉)幕府旧跡」との碑が建っています。鎌倉/二階堂「清泉小学校」敷地の片隅です。つまり、現在「清泉小学校」のある場所に、頼朝が「鎌倉幕府の政務を司る≪御所≫」をい建設したのです。

 

此の辺りは「六浦道」に近い至便の地。治承4年(1180)10月、頼朝は大庭景能を奉行に任じ、屋敷の建設を開始しました。同年12月に「大倉御所」は竣工。東西「2丁半」、南北「2丁」と言われますから、清泉小学校の4倍の広さの御所でした。

 

 

頼朝そして政子が亡くなり、御所は「宇都宮辻子(若宮大路の1本東)」に移転します。それまで此処が46年間、政治の中心地でした。

 

 

 

 

 

 

白旗神社そして「頼朝の墓」へ向かう散歩道が続いています。

 

                                        (青竹:No.2293)