「坪内逍遥」が明治17年から20年まで此処に住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を執筆しました。「坪内逍遥」は、”近代日本最初の文学論”と言われる「小説神髄」で”あるがままの人情を描く写実主義”を主張しました。

 

 

”勧善懲悪を旨とする功利主義的文学観”を否定し”写実主義”を主張し、一躍”文壇の中心的存在”となりました。その後、二葉亭四迷の批判を受け、演劇革新に方向転換します。

 

人間の内面に迫った近代文学としては、「金色夜叉(尾崎紅葉)」に受け継がれます。

 

 

直ぐ前は「炭団坂」と呼ばれる急坂で、樋口一葉の居住跡(菊坂)に通じます。

 

 

本郷台地から菊坂へ通じる急坂。切り立った急な坂を転び落ち、泥だらけになった人も多く、「炭団坂」と名付けられたとか。

 

                                     (青竹:No.2225)