恐ろしい内容が書かれています。

 

「明治政府は、孝明天皇の子(睦仁親王)と南朝の末裔である少年を”すり替え”、その少年を「明治天皇」として即位させた。新政府を樹立した倒幕勢力は、南朝を正統とする思想を奉じていたからだ。そして、この偽装劇を隠蔽した。」というのです。

 

 

●少年の頃の睦仁親王は、女の子のように線が細いが、成人された明治天皇は、山岡鉄舟と互角に相撲をとるほどの偉丈夫だった。

 

●皇居前広場には、南朝を代表する武人である楠木正成の像が建つ。

 

●明治天皇と並んで明治神宮の”祭神”とされているのは、「昭憲皇太后」。「皇太后(先人の妻。自分の母親。)」であって「皇后」ではない。

 

●明治天皇は、後醍醐天皇を祀る”吉野神宮”を始め、「湊川神社」「藤島神社」など、南朝方の人物を祀る神社を15社も創設した。

 

●明治天皇崩御の前年、帝国議会で「南朝を正統とするか否か」の大激論がかわされ、天皇自ら「南朝を正統とする”ご聖断”」を下された。

 

などなどの理由が詳説され、”証拠となる写真”が羅列されています。

 

 

当時の考え方としては、”幕府と北朝”がワンセット。そして、外様大名や討幕派たちの考え方は、”南朝崇拝”だったようです。

 

例えが、南朝派有力大名”菊池氏”の末裔を自認する西郷隆盛の変名は”菊池源吾”。下から読めば「吾、源は菊池なり。」

 

明治になって、世の中は”菊”だらけとなり、今だに”パスポートの図柄”まで菊……。