「高田馬場」駅の直ぐ近くの夏目坂に「漱石生誕之地」碑があります。
漱石は”大政奉還の年(1867)”に、此処(後に夏目坂と呼ばれた地)の名主の家に生まれました。しかし実家は没落しており、里子に出され、その後、養子に出されたと言われています。
そして、養父母の離婚に伴い、生家に戻りました。
帝大英文科に進みましたが、若くして”神経衰弱”を患い、高等師範学校講師や松山中学の教師などを務め、1900年33歳のときに、文部省の命で英国留学に赴きました。
英国滞在中に精神病を悪化させましたが、帰国後は、大学講師をしながら執筆活動に入りました。後輩などの面倒見は良かったようですが、41歳で教職を辞し朝日新聞社へ入社し”職業作家”となりました。
朝日新聞入社後も、数々の名作を残した漱石ですが、神経衰弱と胃痛は更に悪化し胃潰瘍も重篤になりました。そして1916年、「明暗」執筆中に内出血により亡くなりました。享年は50歳でした。




