道真公の”乳母”とも”巫女”とも言われている「多治比文子」の自宅に、道真公の”託宣”を受けて創建され、北野天満宮の「前身」ともいわれている「文子天満宮」です。
同名社が「間之町通り(市比売神社の近く)」にもあり、其方には、文子さんの像も設置されています。
「多治比氏」については、宣化天皇皇子の上殖葉(かみつうえは)皇子を祖とする皇親氏族とのことですが、文子さんとの関係は不明です。
此の文子さんは、「西京七条に住まいせし賤女」と言われ、社殿を建立する資金もなかったので、自宅を提供したとか。
道真公が大宰府へ赴く折、自らの姿を彫った像を文子さんに託したとの説もあります。




