巨城の石垣は、色々な石を使用しています。「石棺」までも……。
おどろおどろしい「腹切丸」は”工事中”でしたから、「お菊井戸」の話を。「播州皿屋敷」として講談などで有名です。
本丸(備前丸)の下、上山里曲輪に”女中/お菊”が投げ込まれたという伝説の「お菊井戸」があります。
また、JR姫路駅近くに「お菊神社(十二所神社)」があり、お菊の霊が祀られています。
姫路城主が小寺則職(のりもと)のとき、家老/青山鉄山がお家乗っ取りを策しました。忠臣/衣笠靱負は”逆臣一味の証拠”を掴もうと”妾のお菊”を女中として仕えさせました。お菊は健気にも”密偵”として活躍しましたが疑われ、無実の罪「家宝の皿」紛失の疑いを掛けられました。
縛られ井戸へ吊るされたうえ、「皿はどうした」と青竹で打ち責められましたが、(密偵であることを)自白しません。遂には斬り捨てられ、井戸へ投げ込まれました。
そして、毎夜毎夜、女の幽霊が出て、「1枚2枚・・・・・・9枚。1枚足りない・・・・・・。」剛の者までがちじみ上がるまでの気味悪さでした。
その甲斐あって、鉄山の陰謀は露見し、事なきを得ました。則職は、無惨なお菊の死を悼み、十二所神社の境内にお菊を祀る祠を設けました。
かなり深い井戸です。
忍者防止の「扇の勾配」です。
西の丸へ進みます。
池田輝政夫人は「家康の次女(督姫)」でしたし、本多忠刻(ただとき)夫人は「千姫」でした。
「西の丸」は徳川家ゆかりの姫君の「祈り」が籠められた場所です。
大坂夏の陣で”最愛の夫/秀頼”を失った千姫は、その後、本多忠刻に恋しました。忠刻は”とても美しい青年武将”だったといいます。
家康は、最愛の孫娘に”化粧料10万石”を持参させました。その10万石を投じて整備したのが、この西の丸です。
千姫は毎日毎日、「千姫櫓」から「男山天満宮」を遥拝し、夫と我が子の無事を祈りました。
秀頼との政略結婚で疲れ果てた千姫の心を和ませた”最も幸せだった時代”は、姫路城で最愛の忠刻と過ごした20歳から30歳までの10年間だったといわれています。
千姫の化粧櫓です。
化粧櫓から見た大天守です。千姫の眼に映った大天守です。
内堀を和船で楽しむコースもあります。


























