大正3年(1914)。天心の一周忌を期して、横山大観や下村観山が中心となり、日本美術院を再興しました。今年は、その100周年記念の年にあたり、「世紀の日本画展」が、大々的に開催されています。
●「五浦」 塩出英雄。 昭和45年(1970) 茨城大学蔵。
明治39年(1906)。東京美術学校を追われた天心は、大観や観山や家族を引き連れて、北茨城の五浦へ移転し、貧苦のなかで研鑽を積むこととしました。
五浦は、今では、院にとって「聖地」となっていますが、画面右下に見える六角堂は、3年前の大震災のときに、大津波で倒壊しました。(現在では、復原されています。)
本作品には、天心の居宅や大観らの住居も描きこまれており、あたかも、名所絵の如き味わいが出ています。
理事長代行として院を牽引した作者は、この作品で、院の苦闘の時代を見つめ直そうとしたのかもしれません。
●「熱国の巻(熱国之朝、熱国之夕)」 今村紫紅。大正3年(1914) 東京国立博物館蔵。
(朝之巻)
日本画のあり方を問い直し、果敢に表現の道を開拓しようとした紫紅の代表傑作です。紫紅は、残念ながら30代後半で没しました。この展覧会では、前期で「朝之巻」を、後期で「夕之巻」を、展示しています。
描かれているのは、インドの現代風俗です。約15日間インドに滞在し、旅行中に見た光景を、帰国後に架空の風景として描きました。俵屋宗達からゴッホ、ゴーギャンまで、良いと思った画家の構図を大胆に取り入れたことでも有名です。
紫紅は、大正初期には、若手のリーダー格の存在でした。大観を乗り越えようと、大変な努力をした画家でもありました。「伝統に凝り固まった日本画を、一旦自分が壊すから、後は、君たちが再構築して欲しい」と常々後輩達に言っていました。
●「日本美術院血脈図」 平山郁夫。 昭和40年(1965)。 茨城大学蔵。
美術院の式典の様子です。中央で、美術学校の制服を着て馬に乗っているのは、岡倉天心です。「アジアは一つだ」と言っているように見えます。
最前列に位置しているのは、大観を始めとする院を代表する大画家たちです。日本美術院の血脈を受け継ぐのは自分であるとの、平山郁夫の強い「決意」を表わす絵です。



