●「陽を浴びるポプラ並木」 1891年。 モネ。 国立西洋美術館蔵(松方コレクション)



15-2


1891年。春から秋にかけて、エプト川の岸辺で取り組まれた「ポプラ並木」連作の1点です。モネは多分、舟の上にいて、視線は構図や光の効果を試すように川面の高さにあり、垂直に伸びた木々の上部は、画面の上端で切られています。


木々と水面の反映像が織り成す垂直のラインと遠景の並木道の蛇行線の交差が、画面に音楽的なリズムを生み、青い空、白い雲、黄色のポプラが自然の風景でありながら、極めて装飾的で幻想的ですらある空間が、創り出されています。



●「セーヌ河の朝」 1898年。 モネ。 国立西洋美術館蔵。



16


モネが1896~1898年に取り組んだ「セーヌ河の朝」連作の1つです。木々と水面の反映像を用いつつ、喚起力に満ちた水辺の表現を試み、その霞かかった表現は、コローの「思い出」の風景にも結び付けられます。


雨に打たれて立ち騒ぐ木々や水面の描き方が見事です。うねり、震えるような筆致は、流転し、循環する自然を前にして、モネの強い感動を伝えつつ、絵を見る者の想像力や感情に訴えます。



【第Ⅳ章:空間の深みへ】


20世紀を迎えた晩年のモネは、自然豊かな水辺の小村ジヴェルニーで、睡蓮の連作に取り組みます。水草揺らめく水中から、天空の光や周囲の草木の反映像まで、幾層にも重なり、融合する複雑な水面の表現に魅せられ、カンヴァス上に独自の空間を創り出しました。



●「しゃくやくの花園」 1887年。 モネ。 国立西洋美術館蔵(松方コレクション)



17


モネは、広大なジヴェルニーの家で、庭造りに励み、まずは家の前に、多種多様な花が咲く「花の庭」を作りました。本作品は、モネが、「花の庭」で最初に描いた作品と言われています。


この後、1893年には、隣接地を買い増しして、近くを流れるセーヌ河の支流を引き入れて、睡蓮の池を中心とする「水の庭」の造成を進めました。


庭造りにかけるモネの情熱は、褪せることなく、各地から種を取り寄せ、旅先からも苗木を送りつつ、自身の理想の庭を実現させていきました。それが、晩年の絵画制作の着想源となりました。



●「舟遊び」 1887年。 モネ。 国立西洋美術館蔵(松方コレクション)



19-1


西洋美術館蔵なので、「常設展」に、ときどき出ています。常設展のなかに、この作品が出ていると、流石に目立ちます。大地も空も海もありませんが、ひたすらに、水辺空間の深みのみが目立ちます。


日本的情緒に好意を持っていたモネは、日本的着想で、自宅の「水の庭」に太鼓橋の有る池を造りました。1880年代に風景画制作に集中していたモネは、80年代後半から90年代始め頃、「風景を描くより戸外の人物を描く」という年来の目標に取り組み始めます。


「舟遊び」は、ジヴェルニーの自宅近くを流れるエプト河での舟遊びの様子を描いたものです。モデルは、モネの義理の娘となるオシュデ家の娘たちです。


岸辺の上から見下ろした視線で描かれています。小舟の先を画面の端で断ち切った構図には、浮世絵の影響が見られるようです。


画面全体が水面で覆われ、雲の浮かぶ空と小舟の娘たちの姿の影を映した水面の表現が重視されています。


●「バラ色のボート」 モネ。 1890年。 ポーラ美術館蔵。



19-2



こちらの絵では、モネの「」は、更に水中深く潜ってしまい、揺らめく水草を描いています。この後になると、戸外の人物さえも消え、睡蓮のみが残ります。


当時、モネは言っています。「私は不可能なことに取り組みました。水とその底で揺らめく水草を一緒に描くことで、それは、眺める分には素晴らしいことですが、このように描こうとすると、気が狂いそうになります。」と。