石段の直ぐ前を、江ノ電が横切ります。
腰越は、義経縁の地として人気のエリアです。
文治元年(1185)平家を滅ぼし、意気揚々と鎌倉へ凱旋しようとした義経は、兄頼朝に、鎌倉入りを禁じられました。義経は、失意の日々を過ごし、ここ「腰越・満福寺」で、公文所別当・大江広元あてに「嘆願書」を起草しました。
世に言う「腰越状」で、寺内のショーウインドウで、実物大の版木を見ることが出来ます。
(腰越状)
「龍護山医王院満福寺」。古義真言宗・大覚寺派の寺院です。開祖は行基と伝わります。寺伝によれば、東国で流行病が蔓延した際、聖武天皇は、行基に行基を除かせるよう命じたそうです。
鎌倉へやってきた行基は、この地の美しい風景に魅せられ、ここで祈祷すれば流行病も治まるに違いないと考え、ここで仏像を彫り、祈りを捧げ、病気平癒の寺を建てたのが始まりだそうです。
(本堂)
(弁慶の手玉石)
本堂の格天井は、鎌倉彫りで飾られています。










