さて、原作の方で一応の最終回を迎えたという事で。

本来ならアニメを主体に感想を綴っていきたいこのブログ。

まあ、アニメも二期が終わっている節目という事でもあって、しかしながら、感想を書こうとすると、どうしても原作の最終回までの流れが必要になる。

と言うことで、一応は、それでもネタバレには気を付けていきたいとは思っているので。

 

さて、ストーリー展開として、どうしてもアクアがその中心になっていることが、感想のややこしさの要因になっています。

推しの子と言うことで、始まりは[星野アイ]から始まり、その復讐劇という印象が前面に出ているから。

その意味で、ナゾのまま終わっている部分の不完全燃焼が火種になっている部分がある。

結局ツクヨミってなんだよ。とかね。

だから、その「謎のまま」の部分にも想像の余地ってものがありまして。

ツクヨミに絡んでくれば、もっとそもそもなのだ。

 

なんで悟郎がアクアとして転生したのか。

 

ある種、ルビーに関しては熱狂的なファンが多い国民的アイドルのファンの一人として、同じファンとは違うという環境を用意しているので。

まあ、ひとつひとつが掘り下げていくとどうしても想像に委ねる矛盾に到達してしまうのがこの作品の特徴でもあってw

だからこそ、でもある。

 

悟郎の転生は、さりなの転生に引っ張られている。

おそらくは、コレなのだ。

ただ、真っ先に書いているようにも、アクアがストーリーの中心として、そしてなによりも印象が[復讐劇]になっているからこそつい見落としてしまう設定。

 

そう、後半になればちらりと察することが出来るアクアの[目的]。

これ、実はドラマの方が意外に顕著で解りやすい。

そう、『ルビーを守る』存在がアクアだったりする。

 

ちょっとややこしくなるのは、アイの復讐から始まり、犯人に近づく為の手段がストーリーの展開になっている。

その犯人を見つけ、復讐を遂げる事が目的になってしまっているから。

 

しかし、それがもたらす『副作用』にこそアクアの使命がある。

 

そう、アクアの復讐の相手は、アイ「だけ」が標的ではないと気がつけば。

ヤツが標的とするその理由は、アイ以外の誰かも持ち得る要素でもある。だからルビーも狙われる。

単なる子供ってだけならば、むしろアクアだって標的になるのだから。

 

つまり、これ、本当の主人公はルビーの方であって、いわゆるアイドルになる過程とアイドルとしてのルビーこそが[本筋]だと考える。

 

・・・そう、実はこの[本筋]の部分が伝わってこないから炎上もするw

ぶっちゃけてしまえば、その部分をハショリすぎ。

100歩引いて見てみましょう。

《無職転生》と似たようなもんだ(ぉぃw)

いや、ルーデウスの話は、六面世界の一部。実は勇者として転生された「あっち」がメインストーリーとなってもおかしくないのだ。それが、ナナホシの存在で解っている。

サイドストーリーがメインを張ってしまっているような展開になってしまっている。

 

本来なら、ルビーがアイドルに成り、アイドルとして活動するメインストーリーの合間にアクアが復讐劇の情報を集めている。

こういう展開ならば、おそらくは原作の最終回にも繋がっていくはずだった。

・・・うん、あくまでも私の感想なので。

 

アクアの復讐劇にルビーが絡んで来ないから。

そんな事を知らないルビーのアイドルストーリーが展開してしまう。ルビーのアイドルストーリーとアクアの復讐劇が「別々」の物語として展開し、復讐劇にルビーが絡んでくるのも、もうね。てなくらいに絡まないから、アクアがルビーを守ることが「副作用」になっている。

ここの表現(説明)がね、かなり描写が欲しかったところ。

アクアを芸能活動に引きこむもの、ルビーを絡めてもよかったはずなのだ。

有馬かなではなく、ルビーを接点として。

B小町がグループである以上、メンバーは必要になる。その意味での有馬の加入に持っていき、MEMちょを加えて・・・そのエピソードとしては良いのだけど、ルビーのインパクトがなさすぎる。

アクアがお膳立てを造り、ルビーを助けていく。

それが出来ているのに、どうしてもルビーの印象が薄れてしまうから印象もおかしな方向にむいてしまう。

 

多分、表現したいことが最終回までの話数では圧倒的に足りない。

パートごとのストーリーがどうしてもアクアに視点が行ってしまうから、とんでもなく不完全燃焼になる。

おそらく。あくまでも予想。

構想段階ではいろんな展開を想定してはず。その中に、ルビーのアイドルストーリーがあり、ばっさりやられてしまったのか。

 

想像の余地が広いのはいい事だ。

だがしかし、それはメインとなったストーリーがあって、それを補うサイドストーリーなどと組み立てて、可能性の想像をする事が楽しいものが、言わせて貰えば[伏線]では無い[謎]を残したまま、謎に対する想像の幅はとんでもない事になる。

 

はい、[伏線]ではないと、辛辣な言葉選びをしています。

伏線であるならば、答え合わせの時点でそのヒントは明確で「ここだ」と解る物が、そもそも伏線では無いからなにが謎を説明する暗部なのかを特定できない。

アレもアヤシイ、コレもアヤシイ。それもアヤシイで、結局、どれにも理由が通ってしまうから。

それが可能性として想像を膨らませる要素になるのであればifを想像すれば良いだけなので。

それらをばっさりやられてしまっているから。

そう、なんで転生させたんだろうね。悟郎では無くさりなを。

ほら、「無い」んですよ、伏線がw

ワンチャン、想いの強さに宿ったでも説明でもあれば、本来は死産だった設定も活きるハズなのに。

 

というわけで、さすがに想像の幅が大きすぎて、自分の落とし所に納得を得ることが難しい作品となっていることが大分否めないザンネン。