タブン、私の感性というのは、周りの人とは少しだけズレている。
なんというか、二つの円で重なる部分もあるけど、主体は私という円の交わっていない部分の感性がこのズレているという感性で。
そう、自覚があるのに、あえて交わっているところに合わせていかないヘソ曲がりっぷりが個性でもあって。
こう書くと、いろいろな事象に対してまとまった印象として、今回書きたい事と印象がズレる。これも想像が出来るくせに。
想像出来るから、あんまり表現しなかったという部分。
いわゆるグロい描写に対して、あくまでも私の周囲の人に比べると、耐性がある・・・ように見えているらしい。
フィクションのホラーやサスペンスなどの、殺害シーンの描写に対しては、意外にケロっとしている自分がいる。
ここで、区別的に言えば、ホラー作品は苦手です。それは、怪奇が起こす「びっくりする描写」が嫌いなのであって、怪奇が怖いのではなく、映像技術にまんまとひっかかかる部分で、びっくりする描写が嫌いなのです。
そう、一概の印象も、突き詰めると実は相手とは別の理由で嫌いだとか苦手だとか。このズレが、いわゆるハナシが通じないという部分になる。
怖さを会話しているのに、苦手な描写を会話にするからズレている。
グロい描写に対する耐性があるから。
いわゆるこの先の閲覧注意で、「うわー」となった事が少ない。さらに言えば、映像として、「ああ、こーゆーのねw」で終わってしまうから。
だから。
アニメ作品にそう言った感想を抱く「シーン」に対する感想ってのが、ことのほかズレる。
ぶっちゃけてしまえば。
《オーバーロード》ってそんなに怖い?
アンデッドや異種族に対するイメージというのは、むしろTRPGから入っている私です。
もちろん、これは敵としてゲームマスターの力量で変わるけど。
当然、敵として一方的に戦う相手である以上に、そう、アニメのように立ち振る舞いによって戦闘以外の可能性があるゲーム。
くどいようですが、ゲームマスターの采配次第での自由度があるゲームがTRPGなので。敵がモンスターであっても、話し合いの余地があるかも?と可能性を残すシナリオメイクをして、進めていくゲームマスターに恵まれたと言う私にとっては幸運と捉えている部分。
他の卓の、そういったリプレイが面白いのは、そう言った内容の自由度の高さ。
ゲームマスターの裁量が存分に発揮されている内容が面白いのてあって、コンピュータゲームのように、敵が現れた。戦う、逃げるの選択肢しか無いTRPGを見せられてもつまらない。前後のストーリー事情にもよりますよ、それしか選択できない状況ってのも、もちろんありますから。
だからこそ、《オーバーロード》も、ナザリック勢をあんまりグロいとは感じない。もちろん、Gを模したアレも、正体(中身)が蟲のアレも、吸血鬼としての本性を現したアレも。
焦点は、Gのアレが怖いのではなくて、そいつが行う事を「描写」した内容ですから。
文字だけでこういうことをされる、では「うわー」な感想で終わる。閲覧注意後の描写で「うわー」とならないのは、あくまでも「描写」だけを見せられて内容が想像に委ねられるから。
なので、今度は非道い扱いを受けてしまうキャラクター。
《オーバーロード》にもいるし、最近では《ゴブリンスレイヤー》アニメ第一話描写といった所か。
女の子がヒドい目に遭うというシーンも、まあ、行為としてとんでもねぇと思っても、ここも言葉マジックと言いましょうか。
酷いと思うから救われてほしいという感想に至るものの、救われない決定的な描写。
《アカメが斬る》の罪人晒しなんて有名ですが。
非道い行為にはそこに至る事情も踏まえ、あー、そうなったか。おぅ、ここまでやるか。という感想に驚く程度で、それはむしろ女の子が優遇されるのかしらんけど、一線を越えない道徳が守られる世界がおかしいのであって、ふつーにヤルだろ、こういうこと。
ある意味、そんな見方をしてしまうから、描写自体の表現とは別に、出来事としてはアリな自分がいる。
だから。
描写としては、周りの人よりもふつーに観られてしまう。
極端な例に、女の子が逃げられないように、アンクル(足に付ける重りのやつ)を付けている描写と、足を切断してしまう描写。
足を斬ったか~を、可哀想であって、非道とはならない一種の薄情な自分がいる。
ぶっちゃけ、その切断するシーンこそが残酷なのであって、それだって綺麗にスパッと切れたり、鮮血シーンでカンジンの部分を見せなかったり。
倫理規定やらなにやら、視聴者の反応も含めてイロイロ問題があるから出来ないシーンの描写こそ、私自身は『見ることが出来ない』グロいシーンとして評価すると思う、変な境界線を持っている。
あのシーンが非道いのでは無く、あの描写が酷いと、会話が絶妙にズレる感性は混ざり合っているから。
そこに至る話の流れで、人の静止を聞かず、自分を過信しすぎて受ける仕打ちが酷いのであって、受けた様子が非道いとならないから、周りから見れば、私が妙な耐性を持っている。となるのだそう。
こういった部分な。
言葉マジックとして使い分けた酷いと非道い。
「音」が同じでも私の中では明確に意味の異なる言葉として使い分けるからコソの会話の難しさ。
このズレが、変なヤツという印象を持たれても。
そう、私自身は変な私を受け入れているから、それは相手にとって揶揄のつもりでもある種、開き直りに受け入れている。
受け入れているんだから。
「お前、普段から私を「変なヤツ」って言ってるクセに、その「変なヤツ」を相手にナニを言ってるの?意味が解らないんで、「変なヤツ」の解釈に合わせて言ってくれませんかねぇ」
なーんて。
そう、コレすらも言葉の武器とする[へりくつ魔王]は、「その場」だけではなく、「いきさつ」を考慮しないと強敵なのですよ。
ばばーん♪(ぉぃw)
・・・いや、ちょっと唐突な覚え書きw