例の如く、実写ジャンルがないので、アニメカテゴリーとしています。
当初、あんまり興味がそそられずに、見送っていた作品なのですが、AmazonPrimeのおすすめがあまりにもしつこいので(マテコラw)
というわけで、興味が無い時点で見始めても、ぶっちゃけ、面白さなんて解らないし、理解しようともしない。
だから、この手の作品は感性がモノを言う。
仮面ライダーとしての興味が無かったために観た作品。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・あれ?」
「・・・これ、おもしろくねーか?」
「あ、これ、おもしれぇw」
観なきゃ解らないおもしろがあった。
いわゆる一号と二号シーズンの仮面ライダーとして、まあ、ゼロ号とか三号とかはすでに別のタイトルでもある中で。
面白さは「仮面ライダー」ではなく、その「ストーリー」です。
だから、観なきゃわからない。
最初の抵抗感というか、まあ、敬遠していたのはPRで見る仮面ライダーですね。
『変身』じゃなくて、マスクを被って容姿を変えるタイプかよ。
(==
あくまでも仮面ライダーの基本は、変身によってあのバッタフォーム自体がライダーの正体なのです。そう、改造人間であるライダーは、『人間の姿の方が偽りの姿』という大前提がね、いまのライダーに失われた設定だっりするのです。
だから、昨今の強化変身というライダーとは意味の異なる「チビッコのヒーロー」世代のライダーはということで。
そんな先入観が強すぎるゆえの抵抗感。
実際に観てみると、これは絶妙に異なる。
今回の仮面ライダーでは、この外観的正体ってのは、ぶっちゃけ解りません。
でも、「変身」はするんです。
変身ポーズがなく、意思による変態による変化ですね。
仮面ライダーBLACK SUN の記事でも書いた、変態は趣向の変態ではありませんw
コレよりも地味な変化に、ちょっと気がつきにくいけど、変身したうえで、首から下のライダーフォームは《防護服》です。
マスクは《身体能力を向上させるなんかの装置》w
そのため、変身した姿をマスクや防護服で覆ってしまうから、変身後の姿がわからない。
このコンセプトは、いままでの変身イメージに無かったもので。
つまり。
ライダーでいえば《ライダーマン》が一番解りやすいでしょうか。
ただし、もう一度言えば、変身のためにマスクを被るのでは無く、変身した姿を覆ってしまうマスクという違いがあるので、あくまでもイメージ的に。
そんな仮面ライダー一号・二号のストーリーとしてまったく新しくなっている。
このストーリーが面白い。
いわゆるヒーロー路線のはずなのですが、これも、社会の裏で進行しているストーリーとして、侵攻描写がないので「悪に立ち向かう」というヒーローっぽさが無いのは昨今のライダーと同じ。
正直、そんなヒーロー路線を望んでいる個人からすれば、ライダー同士で戦ったり、なにやってんのこいつら?よりは、ぜんぜん[仮面ライダー]という原点に立ち戻っています。
悪の野望ではなく、『あいつの野望を挫く』という構成になっているためにヒーローの印象は薄くなる。
つまり、悪の側(ショッカー)が「悪いやつ」ではなく、「わがままの暴走」になっているからヒーローになりきれない。
どっちにしても「迷惑なヤツ」にはかわりませんが、この印象はヒーロー路線としてはおおきく異なります。
作中でピンチのチビッコを助けてくれるという描写がないので、チビッコの印象が助けてくれるヒーローという印象を持てないといった感じでしょうか。
それでも、BLACK SUNといった「大人の仮面ライダー」にもなりきっていないので、おそらく、チビッコでも仮面ライダーとしてツボれる要素を持っているのはいままでになかったばず。
ただ、戦闘シーンの鮮血シーンがね、あからさまじゃ無くてもリアル的にキツイという印象にはなると思うのでちょっと注意。
あくまでも身体能力のみで戦う戦闘シーンは、やっぱ仮面ライダーはこうでなくちゃ♪という偏見を満足させてくれる。
最後の戦闘はケンカ?wなんてところも含めて。
o(__)ノ彡_☆バンバン!!
ストーリーが面白いので、ストーリーにはなるべく触れずに。
一応、原作の設定は押さえています。
当初は力の加減が出来ないとか、第一号は、あくまでも風を受けてベルトの風車を回す初期設定とか。
そういった意味では、さて《仮面ライダー》の呼称について。
始めから《仮面ライダー》として改造されたのではなく、後付けの呼称になっているため、これが変身に対してマスクを被ったりする必要に、より仮面ライダーという呼称の説得にもなったかな。
これは実にウマイ。
だって、[仮面ライダー第0(ゼロ)号]を名乗ったアイツ、「バッタオーグ」じゃないだろw
演出としてちょっと足りないかな、と思うのは、あの両側に置いたバイク。
写真が出てくれば、それがなんなのかが解りますが、だからこそ、察すれば「家族に対する思い」が残ってるな(ニヤリ)と読んでしまうのですが、まあまあ、だからこそ、置いてあるバイクにほんの少しのスポットをあててもよかったかな、と。
そして、二号と(あえて)ゼロ号がそれぞれに思う「孤独」。
たぶん、もうすこし深堀していたと思う。
よく見ると、テーマになりそうな感じで二人の語る孤独って、それぞれちがうのだ。ばばーん♪
しれっと伏線に使えそうで絡みの無いコレは映像時間の都合でハショられたか。実は視聴者の深読みしすぎなのかw
そんな原作との違いを見つけたりすることも含めて、だからこそなおさら既存の[仮面ライダー]の印象を当てはめて観ると、違和感が強くなるかもしれません。
一号・二号は特に「チビッコのヒーロー」だからね。
逆に「別の時系列での戦い」と割り切ることができると、目立たないところできっちりヒーローをしている仮面ライダーになります。
気持ち的には「外国の支部」に行っている一号のストーリーとかね、解りやすいアナザーストーリーを作ってくれるとありがたいのですけどw
そんなわけで、既存の一号・二号の印象をどう切り離せるか。が評価の分かれ目になる事は間違いない。
私が敬遠していた理由がまさにこれなので。
ストーリーは面白い。
ショッカーという組織自体はね、「残しているもの」があるおかげで続ける事も出来る。しかもそれが「ショッカー」である必要がないから。残ったそれはあくまでも黒幕として別の組織を作ってもいける残し方なので、『ぶいすりゃー』に繋げることもできるw
ストーリー後の展開を想像する楽しさも含めて、面白い作品です。
おまけのほっこりは、サイクロン号が移動に対して後ろをついてくる描写。
あ、なんかかわいいw
なんて思うのは、グラスホッパーともやっぱり違うね。と思ったワンシーンw