彼女と連絡がとれなくなった。厳密にはメールを送っても既読にもならない。
その日は疲れてるのかなと思ったが一日たっても既読がつかなかった。
え。どういうこと。頭は不安でいっぱいだったがあまり考えないようにした。
しかし最後の外泊の夜、病院に戻ってやっぱり既読になってないことにしびれを切らして電話した。
そのまま関係は終わりを告げた。
次の日は血圧が上がったままになってしまい、全然下がらない。
「どうしたの?」
看護師さんに聞かれて泣きそうになる。前日のこと話すと
「はぁ???」と言われた。そうだよな。うん。
「あのいつもお見舞いに来てくれてた女の子でしょ」
「はい、そうですね。ホント人生って何があるかわからないっすね」
「うーん…ええ?うーん、そっかぁ、なるほど…なんかさぁ、あんたが昨日夜遅くまで談話室で電話してるって、夜勤から引き継ぎあったのよ。仕事の話って言ってたみたいだけど」
看護師さんが考え始めてしまった。
「いや、もうそう言うしかないじゃないっすか。もう大丈夫なんで(笑)ガチで泣きたくなったらナースコールします」
「わかった。なにかあったらすぐ呼びなさいよ」
「はーい」
リハビリ中も作業療法の担当者だけに話をした。
「まじっすか?!」
「まじ」
「あの、お見舞いに来ていた人っすよね」
「そう」
「その…なんていったらいいか…女ってわかんないっすね」
二人で散策路のベンチで語り合ってしまった。あれ、今リハビリ中だよなと思ったのは終了のわずか5分前だった。
病室に戻ってもまだ彼は「うーん」とか「しかし」と唸っていた。
「わかったから(笑)彼女、大切にしろよ」
そういうと自分は仕切りのカーテンを閉めた。
あと一週間。一週間すれば会えると思っていたのに。
この感情のはけ口がないことに頭を抱えた。スマホをいじってたどり着いたのが、ツイッターを始める、ということだった。
つぶやいても、つぶやいても止まらない。思いつくままに連投した。誰かに知ってほしい。相手に対する相当なイヤミもぶつけた。頭のなかはグッチャグチャだ。
神なんかこの世にいねぇ。
もう神なんか信じねぇ。クソだ。
なんでオレ、生きてるのかな。なんのために生きてるのかな。
今まで頑張ってきたことって、なんだったのかな。
やっぱり自分の人生ってこういう運命なんだな。
生きてる意味、ないよなぁ。
窓の景色をぼんやり眺めながら考えた。
あと3日で退院というところで、向かいのベッドの患者さんが退院していった。厳密には転院らしいのだが、もう半年もこの病院にいたという。
いろんな意味で(特に食事)よく頑張った!と思った。事故で脊椎に障害が出てしまったらしく、寝返りを打つのも大変そうだった。
そのたびに「ちくしょう」「やんなっちゃうよ」と言っていて、でもいつもベッドで自主練を欠かさなくて、本当に偉いと思っていた。
なかなか自分もリハビリの成果が出なかったりしてたときは、いつもこの患者さんの姿を見て「あ、これではダメだ」と気合を入れ直していた。
これは本当にダメな見方であり、反省しているのだが、正直に書く。同じ患者でも、自分より症状の重い方を見ると勇気付けられる感情は誰しも持っていると思う。
自主練を頑張っている姿を見て、自分は歩けているんだから、などという上から目線でものを見てはいなかったか。退院が決まってから結構考えた。
おじさんが頑張っている話を美談にして、勝手に自分のエネルギーにしている。
きっと重い病気をして、良くなってきたときに、誰もが感じることだと思う。
元気だった体が突然動かなくなり、死ぬかもしれない恐怖に襲われる。それはきっと誰もが亡くなるときに経験するのかもしれないが、黄泉ではなく、今生きている世界に当てはめると、健常者にはどんなに頑張っても理解できないとても深い闇であるように感じている。それに対して、わかったような口で偉そうなことを言っている人に「このやろー」と思うことも当然ある。「それ、違うでしょ」と。お前に何がわかるのだ、と。
しかし朦朧とする意識のなかで、あれもやりたかった、これもやりたかった、と後悔を始める。
死の淵から生還すると、自分より重症の患者さんに思いを馳せて、自分はあの人より、という感情で自分自身をコントロールして、前向きになろうとする。あれ?結局自分も誰かを踏み台にしようとはしていないだろうか。
思い描いた人生なんて、結局誰のもとにも訪れたことなんてないのかもしれない。
人間は神になんか、なれない。