3週間の短期留学、人種差別されたホストマザー、海外で得た発見。 | 高校中退者が塾長になった話。

高校中退者が塾長になった話。

都内の私立高校を半年で中退し、その後10年のブランクを経て、高校卒業程度認定試験を取得。大学に進学。紆余曲折あり、塾長になった話。

本編の続き。


26歳の夏、私は短期留学をした。


ホームステイ先のホストマザーは中国人だった。


留学先の大学で講師をしていて、

第二言語が英語というのは、

私にはとても好都合だった。


大きな声でゆっくりと

ハキハキ話してくれるホストマザーに

私は慣れない英語で

毎日学校での出来事を話した。


小さな子どものように

「今日はこんなことがあった。」

「私の友達にはこんな人がいてね。」

家に帰る度、私は一日の出来事を全て話した。


ホストマザーは一生懸命に

私の話を聞いてくれた。


そんなホストマザーのことが

私は大好きだった。


たった3週間の留学だったが、

たくさんの事件が起きた。


私には本当は別のステイ先があった。

直前になってこのホストマザーに変わった。

ある夜、大学の子と繋がっているSNSで

なぜ私のステイ先が変更になったかを知った。


とある子の親が中国人のホストマザーを

拒否したのだ。


中国に良い印象を持っていない。

ただそれだけの理由で拒否した。


人種差別だ。


私はそのことを知って、とても悲しかった。


とても良いホストマザーなのに。


悲しかったが、ホストマザーには言えない。


現地でガイドをしてくれているのは

韓国人女性だった。

韓国語はもちろん、

英語も日本語も堪能な人だった。

私は複雑な思いだったが、

全てをガイドの女性に話した。


ホストマザーに聞かれないように

ステイ先の家で、小声で、日本語で。


ホストマザーは日本語がわからなかったから

ちょうどよかった。


日本人ならまだしも、

韓国人のガイドさんに、

日本人の私が、

中国人のホストマザーが人種差別を受けて

悲しかったと伝えた。


ガイドさんは優しくなだめてくれた。




留学先では、毎日大学で授業を受けていた。

同じ日本の大学から来た子たちと

毎日顔を合わせていた。

私の大学は偏差値も低く、

英語力がある子はほとんどいなかったため、

ホストファミリーと十分なコミュニケーションを

取れている子は少なかった。

私は相変わらず英語が出来なかったが、

コミュニケーション能力と、

「伝えたい」という気持ちだけ

カタコトの英語でホストマザーと

コミュニケーションを取っていた。


ホストファミリーとは

不思議なネットワークとルールがあるらしい。


小さな町ということもあり、

ホストファミリー同士は皆、友達だった。


ホストファミリーは週替わりで交代で

他のステイ先の子を

観光地に連れて行ってくれた。


そこでホストファミリーと私たち日本人留学生の

橋渡しになったのが私だった。


私のホストマザーが他のホストファミリーと

連絡を取り合い、その内容を私に英語で伝え、

それを私が日本語で友達に伝えていた。


その中で事件は起きた。

ホストマザーが繋がっていた

ホストファミリーたちは、

偶然私が仲の良い子の

ホストファミリーばかりだったが、

ある一人の子のホストファミリーとは

繋がっていなかった。


週末に出掛ける予定にはその子を誘わなかった。


当然だ。

私がメンバーを選抜している訳ではない。


私はただの通訳で、

ホストマザーに言われた通りのことを

友達に伝えているだけだった。


しかし、その子には理解してもらえなかった。


「仲間外れにされた!」

そう、言いふらされた。


留学に同行していた大学の先生に

私は呼び出された。


「あなたは大人なんだから、

あなたの言動ひとつで

他の子は悲しむんだよ。」


先生はそう言った。


だが、私も学生のうちの一人である。


私はわざわざ海を越えた外国で

8歳下の子を仲間外れになどしない。


その子は、留学して数日で

ホームシックから体調を崩した。


留学前、

ホッカイロは留学先では

買えないから持っていきなさい。」と

大学の先生に言われていたので、

私は大量にカイロを持っていっていた。

そのカイロの半分を手紙付きで

その子にプレゼントしていた。


だが、その子は手紙の存在に

気づいていなかった。


仲間外れにするターゲットに

わざわざ手紙と貴重なカイロを

プレゼントするわけがない。


だが、後の祭り。


理解してもらえなかった。




友達同士で喧嘩したこともあった。

些細なことだったが、

慣れない海外。皆、精神状態は不安定だ。

ギリギリの精神状態なので

些細なことで大きく揉める。


全ての出来事をホストマザーに伝えていたが、

私は英語が堪能なわけではない。

その頃には、

事前に勉強していっていたこともあり、

直後に英検3級(中学校卒業程度レベル)の

受験も控えていたので、

私の英語力は中3レベルほどだった。

だから、私は、

自分の英語力で言えることしか

伝えられていなかった。


友達との喧嘩は、私は悪くないと思っていた。

だが、英語に変換してホストマザーに

話す間に私は自分でも驚くことを言っていた。


ホストマザーに「なんで仲直りできないの?」と

聞かれた時に私は答えた。

「2人とも子どもだから。」と。


英語を使うことによって

多角的に物事を見ることができると

よく言うが、

複雑な日本語から英語に訳すほどの

英語力を持っていない私は、

言える言葉で、最大限に自分の気持ちを

ホストマザーに伝えたが、

絶対に自分は悪くないと思っていたはずなのに

心の奥底では、どっちもどっちだと

思っていたのだ。


たくさんの出会いと成長と発見を手に入れ、

私の3週間の短期留学は終わった。


帰国後、英検3級に受かった。