本編の続き。
子どもを下ろして約1年後、
自分がしてしまったことに後悔はあるが、
俗に言う「時間が解決」していき始めた。
24歳の頃、
近所のとある大型ショッピングモール内の
スーパーでレジ打ちのアルバイトを始めた。
お昼前から夕方にかけてのアルバイトで
周りは皆、主婦だった。
面倒見の良いパートのおばちゃんに
気に入られ、
私はそれなりに日常を取り戻し始めていた。
パートのおばちゃんたちは口々に
「若いのにこんなところでバイトしてるの
もったいないね。」と言った。
しかし、特に気にしなかった。
学歴なんて無くても生きていけると
ずっと思っていたし、
実際に困ったことはない。
かつて就職した先はブラック企業だったし
実家住みでバイト生活をすれば
なんとか生きていけるだろうと
お気楽だった。
月に8万の収入だったが、
特に不自由はなかった。
やがて、1年が経ち、
スーパーのバイトにも慣れてきた頃、
ショッピングモール内で
とある男性社員と出会った。
年はひとつ下の20代前半。
第二新卒の新入社員だった。
彼は化粧品や日用品を扱う売り場にいた。
何回か挨拶するうちに、
連絡先を交換して、食事に行った。
そうして付き合うことになったが、
初めてのときにとてつもない違和感を感じた。
普通じゃない。
夜の世界を渡り歩いてきた勘だった。
問い詰めると、
元痴漢の常習犯だった。
捕まったことはないらしい。
余罪も出てきた。
痴漢、盗撮、下着ドロボー。
なんと陰湿なラインナップ…。
そう思ったが、こういう大事な時に
何も言えないのが私の悪いところ。
諦めが悪いところも私の悪いところ。
更に引っかかったのが、
反省も後悔もしていないところだった。
今で言うサイコパスなのだろう。
周りからは評判の良い社員で
人当たりも良い人だったが、
喧嘩になると酷い言葉を浴びせる人だった。
なんとなく付き合っていくうちに
ひょんなことから
彼の実家に遊びに行くことになった。
連れて行かれた家を見て驚いた。
下町ではあるが、
ここ10年で大きな観光地となった街で
5階建ての一軒家の長男として
彼は生まれていた。
マンション育ちの私は、驚いた。
お母様や兄弟は品の良い顔立ちで、
話を聞いてても、
裕福な家庭だということがわかった。
私は彼の実家に行くたびにお礼の手紙を書いた。
彼のことが好きだったし、
年は24歳、そろそろ結婚適齢期だと思った。
だが、そこまで必死にはならず、
のらりくらりと過ごしていた。
彼のお母様は、私に良い顔をしていたが、
私のいないところでは、
「金目当ての女!」と言っていた。
偶然バイト先で出会った
ショッピングモールの化粧品売り場の社員が
偶然おぼっちゃまだった。
私にはその程度だったのだが。
第一、彼の両親は自営業で、
家族旅行で年に数回、海外旅行に行けるほどの
収入を得ているにも関わらず、
長男の彼は家業を継がず、
小売業界で平社員をやっている。
そんな彼に金目当てで近づくという発想は
被害妄想が過ぎないか?
そう思っていたが、黙っておいた。
ある日の彼との喧嘩中、
彼は私に
「今時、高校中退とかありえない。」
「俺に見合う、学歴、収入、
社会的地位がない人間とは結婚できない。」
と言った。
高校を中退してから10年が経とうとしていたが、
初めて言われた言葉だった。
今まで私の周りに居た人は、
誰一人として私の学歴をバカにしなかったし、
私自身、後ろめたさを感じたことがなかった。
私は深く傷ついた。
そして今まで感じたことのない怒りを感じた。
彼は、当時、
- 大学中退、専門卒
- 小売業界の新入社員
- 月収20万程度
であった。
高学歴でもない、高収入でもない、
社会的地位が高いわけでもない人に
とんでもない貶され方をして
初めて感じた悔しさだった。
「死にたい」と思った。
生きているのが嫌になった。
だが、その思いは次第に
「悔しい」「見返したい」
に変わっていった。
そこからの行動は早かった。
インターネットで彼を見返す方法を調べた。
- 全日制の高校に入り直す
- 通信制の高校に行く
- 高校卒業程度認定試験を取る
何かしらの高校に行く、というのは、
肌に合わない気がした。
3年間も学校になんか通えない。
だって私は飽き性で三日坊主常習犯。
消去法で、
高校卒業程度認定試験を取ることを
決意した。
そこから高卒認定を取るためには
どうするかを考えた。
- 独学
- サポート校へ行く
- 予備校へ行く
何事もすぐに諦める私に
独学は向いていないと思った。
そこで私は、検索して1番上に出てきた
高卒認定の専用コースのある予備校へ
連絡した。
そこから先はあっという間だった。
最初に2ヶ月、英語と数学の個別指導を受けた。
中学時代、英数国は人並みにできた。
だが10年ものブランクがある。
頼りの英語もbe動詞からやり直しだ。
その後、専用コースの集団指導で
8科目の授業を受けた。
私は高校を半年で中退しているので、
免除科目が無く、
8科目全ての受験をしなければならなかった。
理社は生まれてこの方、勉強したことがなく、
中学では1桁の点数のオンパレード。
そんな私が、英語、数学、国語に加えて、
生物基礎、科学と人間生活、地理A、世界史A、現代社会を勉強し始めた。
25歳の9月のことだった。