脳卒中を患った母の病前とその後の生活の変化を家族視点で話したいと思います。
私の家族構成は父、母、姉との4人家族。
病前は、
父・・・早朝から夜遅くまでサラリーマンとして働く
母・・・パート勤務、家事はすべて母が行う
姉・・・高校生で家にいる時は自分の部屋に籠っているタイプ。父とはあまり話をしない。
私・・・中学生。毎日母と同じベッドで寝て風呂も一緒に入っており、母に甘えきっている生活。
私たち姉妹の学業や部活に関することは父はノータッチですべて母がすべて管理をしてくれていました。
母が倒れて入院した際は月末ということもあり、支払いにてんてこ舞い。母のPCや金融機関のパスワード等、誰にも分からず意識がしっかりしない母から聞き出そうと必死でした。笑
父は母の代わりに主夫にならなければならいないと本当に頑張ってくれました。
元々早起きでしたが、さらに早起きをして出勤前に私たちの朝食、夕食の作り置き、姉のお弁当作り•••。
私たちも中高生で手伝いぐらいすればいいのに、それまでほとんどしてこなかったので、何をすればいいか分からず洗濯や皿洗いぐらいでしか父のことを手伝えませんでした。
私たちの三者面談、部活の送迎、家庭訪問も初めて父にお願いしました。父にとっては初めてのことばかりで、投げ出したくなるほどしんどい日々だった思います。
ムードメーカーのような母の存在がいなくなり、3人でいると静かで。ピリピリ張り詰めた空気になることもしばしばありました。
病院で長時間面会するわけにもいかないので、母が倒れて直後もいつも通り学校や部活は行けと父には言われていました。
私は、学校では本当に仲の良い友達2.3人と先生にしか母のことは話していませんでした。
その時の学校での出来事は覚えていませんが、友達のお母さんとの話を聞くのは辛く、「どうして自分だけ」と自分のことばかり。悲劇のヒロインみたいなことばかり考えていました。
友達のお母さんや親戚のおばさんが料理を作って持ってきてくれることもよくありましたが、
その優しさがあの頃の私には鬱陶しく余計に辛かったのを覚えています。
(今思えば、他人のためにここまでしてくれる人は中々いない、ありがたいと重々感じています。)
そんな日々の出来事を入院中の母と交換ノートでやり取りしていたのですが、そこでもこどもだった私はストレスの吐口のようにマイナスな感情をぶつけることが多く、そのことをとても後悔しています。
面会に行った時に救われたのは看護師さんの存在でした。いつも笑顔で挨拶をしてくれ、日中の母の様子を話してくださる看護師さんに救われていました。
今は自分も医療従事者側なので、この経験を踏まえて、患者さんだけでなく家族にも寄り添える作業療法士になりたいと思っています。
コロナ禍以降はなかなか家族さんとコミュニケーションを取れる機会は減っているのですが•••。
こうして改めて思い出そうとすると、10年以上前のことなので断片的にしか覚えていないものですね。
母の病気は確実に私たち家族にとっても1番の大きな出来事でありターニングポイントでした。
人間の記憶は都合良く出来ているなと思うのですが、こうして振り返っていると思い出されるのは実は良い思い出がほとんど。仲の良い看護師さんと話す時間やリハビリを頑張っている姿、面会終了時間ギリギリまで母と喋ってて、帰りに守衛さんに睨まれたり。笑
悲しい出来事があっても明日は必ずやってきて、日々を過ごしていかないといけない。
右往左往しながらも、みんなで力を合わせて必死に前を向いて頑張ってこられたからこそ
その出来事も良い方向へと昇華されていっているのかなと思います。
とりとめのない文章で申し訳ありません。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます!