『春琴抄』 谷崎潤一郎/著 | パンダの日記「パンダ日和」 by pandaosaco

パンダの日記「パンダ日和」 by pandaosaco

何が必要で、何が大切なのか――?
時に初心に立ち返り、自身の傲慢・慢心へ問いかける。
それが全ての糧となると信じて (C)Pandaosaco

 
 昨日は一日、変なお天気でしたね。

 一昨日夜半から強い雨が叩き付けるようにして、そうかと思えば気温が22℃まで上がってみたり。

 昨年12月中頃、何年かぶりに積雪30㎝余りの大雪に見舞われ、大変な思いをして仕事に出掛けた事を考えると、今年が如何に暖かい冬であるかが知れます。

 暖かいのは有り難いけど、何だか不安にもなるわね。


 さてさて、今週は少々時間があったので、この薄い一冊を、何度となく読み返しておりました。


日付が間違っているけど気にしない

 何となくの作品知識はあったのですが、実はちゃんと読むのは初めて。
 あらすじは読まないようにして臨みました。

 開いてみれば、これまたなんと。
 言葉のひとつひとつが実に丁寧で、美しいこと。

 そして、奥深くて、本当に面白い!
 こう云うのが読みたかった!!

(美しい、と言っても、句読点は少なく、読むのには少し苦労するし、筆者とされる人物が、所々盲人を蔑んでいるような表現もあったりするのだけれど、そこは、この人物の主観ということで、ここでは気にしないでおきます。)


 ご存知の方も多いので、早速にネタバレしちゃいますが――…

(ずばり、あらすじを書いてしまいます。)

 筆者が、手にいれた『鵙屋春琴伝』という伝えを元に、その地を辿り、裕福な薬屋(鵙屋)の娘である春琴と、そこに奉公に来て、春琴の身の回りの世話をした佐助の生涯に思いを馳せるというもの。

 見た目美しく、芸事に長けた春琴だったが、幼少より盲目で、両親に甘やかされた結果、ワガママで気性も荒く、奉公人を初め、己の三味線の子弟を口汚く罵り、時にはバチで叩き付け、怪我を追わせるなんて事も多々。

 それは奉公しながら三味線を教授して貰っている佐助も然りで、同じように酷い扱いを受けるが、幼少よりの憧れが尚も強く、泣きながらも決して離れようとはしない。

 そんな春琴に手を焼いた春琴の両親は、佐助(元々は同じような薬屋の息子)との縁談を勧めるが、春琴は素よりのプライドの高さから、奉公人との結婚を決して了承せず。

 とはいえ、身の回りの事は、佐助にしかやらせない。

 しかし、ある晩、春琴が就寝中のこと、何者かが屋敷に忍び込み、春琴の美しい顔に鉄瓶から熱湯を掛けて、その自慢の美貌を奪うという事件が起こる。

 日頃より方々から恨みをかっていた春琴であったから、犯人はその内の誰かであろうという。

 すると、佐助は自分で目を突き、自らも盲目となる。

「仏様にお願いして、盲目にして貰いました。
 私には貴方の姿は見えません。
 安心して、これからも、お世話をさせて下さいませ。」

 外見を気にする春琴は塞ぎ込むが、盲目となった佐助には相変わらず頼り、他に姿を見せることなく、天寿をもってその生涯を終える。
(但し、決して結婚はしないし、師弟関係を貫く。
 とはいえ、3人の子どもを産んだ事は記されている。)

 佐助はその後も生き、同じく天寿を全うする。

 筆者が見たのは、同じ墓には入らず、やや大きい春琴の墓の傍に、やや小さく存在している佐助の墓であった――…。



 はい、もう、何が何だか、凡人の私には計り知れないです。

 しかも。
 春琴が佐助の子どもをもうけた事なども書かれていますが、その子らはすぐ農家に里子に出されており、春琴亡き後も、佐助はその子どもたちには全く関知しません。

 えーー。

 よく、佐助の純愛と評されているのを見ますが、表に見えない本質の部分、春琴の弱さをもって佐助の靭やかな強さが際立ち、見返りを求めないその姿に、人は純愛を見たのかもしれません。

 また、本書の中では、純愛というよりは、佐助の性癖(マゾヒズム)に由縁しているのではないか、などという記述もありました。

 が、しかし、私には、恋愛と云うよりも、どこか『信仰』だとか『崇拝』だとかに近いもののような気がしました。


 本書についての諸々を読んでみると、『熱湯をかけたのは、実は佐助だったのでは?(美しい春琴を独り占めする為)』などという推理まであって、そう云う仮説を念頭に読み直すと、それもまた面白い。
(小説のなかで犯人は判明していません。)

 そもそも、この筆者(谷崎ではないよ。)が手にいれたという『鵙屋春琴伝』は、誤りも多いようで、そのまま信じるわけにはいかないと、筆者自身も述べています。

 だから読者にも、妄想、推測の余地を大いに与えているのです。


 大雑把なあらすじは書いたけれども、盲人を描くに当たって、聴覚に訴える部分は、本当に美しい。

 なので読んだことのない方は、一度読んで見て欲しい。

 何しろ、一筋縄では行かない。

 恐らく、私なんぞが何度読んでも、作者谷崎の意図は見抜けないでしょう。
 てか、正解がないのが正解、何て事も、十分にあり得るかもね。

 いろいろな人の見解を聞いてみたいな。


 あぁ、もっと早く読めば良かった。

 名作には、名作と言われる理由がありますね。