最近はめっきり遠出する事が無くなりましたが、以前は釣りだ、温泉だ、蕎麦だとしょっちゅう山形に行っていました。
先日 ブログ座敷わらしに会いに♡にも書いたのですが、久しぶりに山形に行く事になり、思い出した事がありました。
以前、山形をドライブ中に道に迷い同じ所にたどりついた事が3回ありました。
1回目と2回目は雪が積もって☃️こんもりと辺りを覆っている時でした。
河北町HPより
何年か経って3回目。
その時は雪が無かったし、
流石に3回偶然はないよなぁ〜〜と思い、
行き止まったその場所に降り立ちました。
その場所とは白鳥城跡🏯。
石垣を登り城址内に入ろうとすると
ザワザワする。居られない。。、
直ぐにその場所から立ち去りました。
帰ってからその場所についてググると
その城主は山形城で最上氏に斬殺され、
その血染めの桜が今でも残っていると。
ギェ

その碑、私見てる





桜の頃の山形城が好きで
何年か前に行った時に散策途中で見たやつ‼︎
益々偶然とは思えなくなった

その後も色々調べてみたけど、おそらく最上氏側(勝組)の都合の良い物語が語り継がれているように思われる。
何故なら辻褄が合わない。
私の脳内イメージ(妄想)は。。。
最上氏に山形城に来るように言われた時
超疑っていて、
「そんな手に乗るかっ!つーの‼︎
」

しかし再三促され、残される妻や子供、家臣、民達を守る為に行くことに。
当然殺される事は覚悟の上です。
妻や家臣たちには伝えておきました。
「私が城を出たら全員こっそり城から抜け出すように。見つからぬように。」
「そして、生きろ‼︎」
ですから暗殺後に最上氏側が攻め入った時は「もぬけの殻」だった筈です。
そして奥方様か娘(女性)は新庄側経由で築館に逃れたように思えるのです。
長久は満開の桜を見ながら
もしくは以前みた其処の満開の桜を思い出しながら、長い廊下を歩き自分の最期を噛み締めていたようにみえます。
まぁ妄想なんですが

どなたか白鳥十郎長久、斎藤伯耆関係ご存知の方、
おうちに言い伝えがあるという方いませんかぁ❓