愛知の人は、県外に出てみて、この表題の意味が得心がいきます。返せば、県内だけに生活圏を済ませてる県民には、「ほんなん、公立のほうが安くて偏差値高いんだで当たり前だがね」で済んじゃう。いやちがう。日本のあちこちでは、そーではない。
つか、🐼はこういった一般論がとにかく疎い。全然理解してない。偏差値表云々で学校を見たことがなかったし、偏差値で行ける学校を断念したとか選べたとかも、トントその成長過程において懸念材料にも検討材料にもしなかった。
したいことがあれば、そこに注力して頑張るだろうし、足りなければ諦めるんだし、そんでいいんじゃない、だけだったから、「美術に関する学科のあるとこ」とか内申の出来不出来とか、推薦がどうだとか、勘案する時が「いつくるんだろーなー」と思ってたら学生を終えてた。こなかった。
学校次第で、人生が曲がる、手合いのことをしなかった。高校くらいで未来が決まるくらいの分野があるの?程度の呑気さというか、不誠実さはずっと胸にあった。
学校がどこであろうとも、自分がたどり着くところは定めてて、学校がどこであろうと、絶対向かう、だけの学生生活だった。
なんなら「高校なんか行ってる暇はない」とさえほざいたほど向こう見ずだった。親に諭されて高校には行くが、どこででも自分の将来はどうとでたどり着いてみせる、ってだけの信念の人だった。
・・・あんまりそーゆー意味では頭は良くないかも知んない。

