持ち運べるメディア | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

パッケージメディアなんて呼ばれ出すのはひとしきり世の中で「音楽媒体」が役割を果たしきったのちのことであって、「綺麗な音楽を聴く」はラジオでFMが始まって、レコードで買えて、カセットテープで録音を叶え、CDを聞けて、DATだのMDだのとコマを進めて「配信」で一つの「世代くくり」にレガシー扱いされ出した。

 

そもそもの「音楽の視聴」はクラシックに起源があるだろうが、ベートーベンまでの音楽が「貴族向き」にだけ作られるものであって、市井にはキリスト教教会で歌うような存在でしか接点がなかった。その意味でもクラシックの大衆への開放は随分出現から時間を費やしてもいる。

 

「カセットへの録音」で「ウォークマン」で持ち出す風潮になった際に、猛烈な音楽信奉は始まった気がします。世代によっては「ビートルズの来日」が火蓋の方もおいででしょう。

社会に吹き抜ける風事態に変革のあった時代に音楽が位置してたんです。

 

浸透していくときに「手元に置く音楽」が生誕したし、「持ち運びたさ」にカーステレオまで文化的な普及も得た。

 

遠巻きにはカセットローディングのフォーマットはパソコン・ゲーム機の記録媒体の初期にも位置したし、従来のままのカセットへの磁気帯の記録様式では市販化するには「映像の記録」の際には寸足らずで、Mローディングなどという「テープ面の流動方向に対して斜めに襷掛け状」に記録し、再生ヘッドはそこへ『同期』しに探りもする」などという変態仕様も果たし経ている。

 

音楽も映像も「パッケージ化」と「配信化」の際に、「従来通りのアナログのデジタル化」だけではサイズに齟齬があり、「圧縮」に活路を見出せもしたし、叶えもした。

 

その意味では取捨選択があって、捨てられた領域やリソースが実際にはあっても耳馴染み、視聴に差し支えなさが事足りる存在で用が足りた。

 

それこそ「真空管の音がいいんだよね」「ハイレゾの音域が広くていいよね」などは人を選ぶ視聴の様式美であって、一般的には馴染めないし平準化するには妙な高価感がリスキーに位置する。

 

iPodが配信を広めもし、パッケージメディアの放逐も担った。今やその片棒のitunesごと陳腐化し出し、令和の今ではサブスク発想の有料化路線で、それなりの敗退に瀕しても見える。

明らかに従来あった自在なサービスに比べて現在のありようは劣化・退化してる。普及させるものを平準化し終えたら、回収の時だと言わんばかりに。

 

🐼は古い世代の価値観を所望の側なので、「基本的に所持しておく」を果たしていない以上は「持ってないに等しい」と思う口です。サブスクとか月額使用料などというのは配信元が供給の断念一つで「買ってない」に霧散に等しくなる虚無を覚えちゃうのね。

 

CDもDVD、ブルーレイまでもが「円盤」などと呼びならわされようとは思いもしませんでしたが、未だ根強い信奉者があってまだ手に入るけれど、もう10年も経過したら、レガシーもいいところなメデイアとして基本陳腐扱いなんでしょうね。