やんごとなくあること | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

 

髪を切りにいって、その陽のお姉さんは前回「こんな感じに伸ばしたいんです」と見せた写真を覚えててくれてまして「伸びましたねえ」っていいながら、「隅っちょだけ揃えてください」っていうだけで済みました。

 

仕上がりも軽くて快調。

 

今朝はクリーニングに出しに行って、知ってるうちでは一番のベテランさんでした。

「日曜の朝の一定時間」だけは「その日納品」をかなえてくれるマジックタイムなのを、こっちが切り出すでなく「夕方ですね♪」と「この時間帯に訪れてくれてる」お客さんの「訳」に気の回しがあって、こちらも話してて調子が良い。

 

前回新人さんの時には「いつもの倍額」の上に、「特急料金なら夕刻までに出来ますよ」と言われて、「じゃ、ふつうのんでいいです」とぶっきらと話した記憶もまだ色褪せておらず、ああ、ひとによってかくもサービスがかわるんだなあ・・・とひとつの「運試し」みたいに楽しんでる気すらしてきたものです。

 

昨日の「まんが講座」中に、シニアクラスの子が漫画ネタをからめつつも、半分は「人生相談」みたいな体裁の話をしておりました。

 

実際、「A・Iにクリエートはどうあるべきか?」みたいな話を前半時間のテーマにあてがってて、「きれいどころや、見栄えのいいもの、カウントアップしてるような統計上の優位性ばかりかき集めてくるようなコンピューター風情には、みじめさや、無様さを楽しんだり、おもしろ話に転換できるような人間性の伴うエンジョイの根っこの妙味がないので、まだまだ負けません」みたいなはなしをしたところ。

 

その刹那に「業(ごう)」について触れたのを、そこの子は気に掛かったみたいで、いくらか探しやすくなるタームを伝えました。

 

上のこと3つから思うのですが、「心地よくある時」の人というのは、専業や得意ごとに専心しきってる状況下で、ほんの「ひとかけら」みたいによそごとや世間話に心砕けてる時間に芽生えるなって思いました。

 

なんだかまるで、なにかのついでみたいに添えて話出したり、聞きたくなったりを、ごく自然に振る舞える豊穣。

 

居心地、をつくりだすのって、こうした「さりげなさ」のうちにたゆたうのですねえ。