「それでも生きていく」 | アメブロなpandaheavenブログ

アメブロなpandaheavenブログ

最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

image

 

「弱りきってるとき」が凌げるだけで、全然違ってくるんだよね。

本当にダメな時ってのがある時に、回避できる過ごし方が担保できてないと、たった一度の落ち度なり、逃げ仰せなさがあるときに、袋小路みたいになって、やけになる。

 

やけだって、解決には違いない。

ただ、回復不能にな何かに遷移するのは、もうどうしようもないから、「そこまで追い込まない」に終始気を付けとくほかがない。

 

そして社会は「そのような猶予」を好んで渡してもくれない。

「そこまで追い込んだ側」なのにも関わらず、と「追い込まれた側」は思っておくほか、やりようもないのだ。

「自力でなんとかおし」の最中を、霧をかき分けるみたいな心持ちで、見通せなさのうちを、懸命に生きてるのも本当だ。苦しいながらも、もがきかたが健常者以上にみすぼらしく、悲惨で、陰惨であっても、それでもあらがっている。

 

「人間性の破壊」を社会制裁で行われたので、社会の方で辻褄を合わせてくれにかかればまだ救われるけれど、「その人が弱かったんだね」でパージし続けてきたものだから、もう取り戻せる体裁もないし、既存の「すでに被られた被害たち」に相当する賠償も期待し得ないだろう。

 

何より、「この世を辞した」人らへの現状回復はなしえない。

卑劣なんだ。かなり卑劣なありように感じてます。

 

「それでも生きていく」なる気概一つが、あるかないかで、全然たどり着ける場所が違ってくる。