(これは数年以上前に書かれたエッセイの再掲載です)
スターウォーズが劇場公開される時に、日本の映画は「SFの時代だぁ」くらいの認識しかなかったのか、「宇宙からのメッセージ」とかいう宇宙で帆船の形をしたチープなアクション映画でお茶をにごそうとした。
私はまだ小学生だったけれど、子供心に「あ、子供騙しってやつだ」と感じてた。スターウォーズの「ライトセーバー」に匹敵できる映像表現が「ガンダム」の「ビームサーベル」だけだったのを覚えてる人はなんにんいるだろう?
毎週、週変わりで敵ロボがデザインを変えて、まるで「赤塚不二男のまんが入門」みたいな「昆虫や動物、果物をデザインに使ってみましょう」みたいなふざけたロボットデザイン全盛の時代に、「ザク」という名の「モビルスーツ」とかいうのや「スペースコロニー」、サイドという名のコロニー群など科学を前提にしてるんだろーなぁ、と子供心に「まんがはすげえカモ!」って思えた。
まだアニメっていうよりも「まんが映画」とかいってた時代だ。
スターウォーズが輝いて見えた。でもそこに拮抗していくのが日本ではアニメしかないんだと、私の目にはギラギラと映った。
テレビも映画もアメリカ映画に「便乗」こそすれ、立ち向かうつもりはちっともないんだと感じた。
当時は「ルパン3世・カリオストロの城」も間違いなくスゲエ映画だったろうけれど、私の住んでた町には映画館はなかったし、ましてや高学年とはいえ、小学生の私はとても見にゆくことなどままならず、電柱に貼ってある「スターウォーズ」の看板、「カリオストロの城」の看板、学校が終わってからノンストップで走って帰宅して見る「ガンダム」がわたしの中の「とんがった」作品達だった。
(ちなみに学校から家まで、4キロあり、通常一時間かかる登下校にノンストップで走りづめで帰宅すると30分で帰られるという状況であった)
2001年現在、ガンダムもスターウォーズも続編を作っている。ルパンもそうだ。
あの、小学生の頃に、憧れまくって、見れた作品は名古屋テレビで放映してた「ガンダム」だけだった。カリオストロもスターウォーズも結局のところ、テレビで放映されるまで、見ることができなかったのだ。
ビデオなんてまだ家庭にはない時代の話だ。
でもそれでよかったと思う。
あの、「見たくても見たくても見られなかった」という気持ちは、ただふくらむ一方で、手に入る情報はむさぼるようにくり返しくり返しかみくだいた。あの渇望感、今、一番欠けてるもの。
小学生が4キロの通学路を息をきらせながら
「うわぁぁ!今日はドズルがビグ・ザムとかいうのに乗るってーのに、なんで俺はこんなに足がのそい(ノロイ)のだぁぁぁ!!!」と怒りのようなはがゆいような、たまらない気持ちで30分走りづめでありながらも嬉しくってタマラン感じが今では懐かしい。
世界に匹敵する作品こそ「ガンダム」だった。
あんなサイズで今、作品にドキドキできるだろうか?小学生が
- 「今日は黒い3連星がなんだかスゴソーってのにぃいぃっぃぃぃぃ!!」
- 「今日のは前回の予告でスレッガーさんがなんだかスゴイことになりそうなのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
- 「前回ジオングがぐわぁぁぁぁってデカく映ったままだったけれど、ああ、最終回はどうなんんおよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」という
怒りにも似た期待ではちきれんばかりになってた気持ちは、今では抱くのが難しくなってしまった。
つまり、ガンダムはスゴかったはずのスターウォーズ(当時まだ見てない)よりも『断然、上をいってるに違いないさ!!』という悔しさゆえのえこひいきに応えてくれる希望の星だったのである。それでいいのだ。
だからはじめてスターウォーズを見終わったあとでは感動もしたが「ガンダムのビームサーベルの方がすげえ」という結論も導いていた。
だって「ビーム・ジャペリンにもなるんだしな!!」と自分のことのようにガンダムを庇護・擁護していたのだ。
ストーリーも子供ながらに「ガンダムの方がすげえさ。
シャアがガルマを裏切ったり、ミライさんが浮気心でスレッガーさんに惹かれたり、セイラさんがガンダムに乗り込んじゃったりする理由は子供のボクサマには理解できないところだけれど、そんな『ワカンネー』とこまでガンダムってのはスゲーのさ!!大人ジャン!」と鬼の首をとったかのような、誇りすら覚えたのだ。
今、感じたいのはあの
「見てぇぇぇ~~~~~!!!」
という、熱烈な渇望だ。小学生が、他になんの心配もなく、もう心が「ガンダム1色!!」に燃えまくっていられた津波のような、雪崩れのような、火山の大噴火のような煮えたぎるマグマのような渇望だ!あれはものすごい力だった。
私はその後、高校生になってから、この感覚を「ゼネプロ」で再度味わうことになる。
焦燥感やら嫉妬心やら期待感やら入り交じったたまらない渇望!そう考えると随分幸せな子供だな、俺、とか思うのね。
現在ではこうして食えないにしてもマンガだの映画だの芝居だのってのの仕組みまで分かっているのに、それでいて、自分が渇望する方向に向かいきっていないのがなんとも口惜しいのだが、それでもやっぱり心の奥底では、あの「家まで走って帰った」身体体験が響いているのか、アレに匹敵するまでの作品を書きたいものだとうずく昨今なのです。
に、しても、ガンダム、やっぱり面白いんだよなぁ。
「どんどん離れていっちゃうのね、アムロ」・・・そのアニメのヒロインにそんな言葉を言わせてしまうアニメって他にないでしょ?フラウ、アムロと結ばれないし。
スゲーじゃん、スゲーだろ?スゲーのさ。すげー!