この1カット見たさに本屋で雑誌とコミック買いました。
ほんの1モーションが脳に焦げ付いて、この夏が乗り切れるほどの高揚をねじ込まれてます。
そのエモーションには鮮度があって、いつか途切れて、いつか霧散する日があるのを知りつつ、記憶の中で「最初にそれを見てしまった」がために、延々脳内でリフレインが叶い、幾度でも奮い立ち直れる自分がいます。
そこに立ち戻るごとに、とろ火になりかけたガッツが火炎になって、くじけるなんてどんなだっけ?みたいな万能感でパンッパンッになれるんです。
延々、誰にもそばにいてもらえない時間をひとりすごした記憶のある人は、そこにふいにさしのべられた「あなたを認めます」というシンパシーに、くるおしいほどぶざまで、かっこわるくって、弾けきった歓喜で満ち満ちます。
一人で過ごせてた時間が、誰かとすごせてた時間のをくぐったあとでは、彩りとパンチ力がてんで見え方を変えるんです。
そののちに、仮に一人に戻ったって、もうその人には宿ってしまって、刻まれてしまった嬉しさが、隠しようもない無尽蔵さで、自らのうちに泉が滔々と湧くのでした。
だから、どんなものだっていいので、そうした「自分ではどうしようもないほどの動転」に出会うまで、人は延々、悶々、粛々、忸怩、諾諾、混沌の森を突き進んでおけばいいのです。
たった一回のターニングポイントで、その分岐からまるで生き直すみたいに、人は晴れやかにたちのぼるからね。
もう、一回知ってしまえば、こっちのもんさね。