(これは数年以上前に書かれたエッセイの再掲載です)
けっこう夕刻よりもゆっくり帰宅したりするから車内でラジオを聞いたりする。
FMはファンキー!とかクールとかを連発する、それでいて中身のまったく薄いDJにグッタリきているので、自然民放AMになるのだが、それも奥様情報だのJリーグだのプロ野球速報なんてなものや、車のCM、やたらに彼氏彼女にひっかけたCMがうっとおしいので、そうしたものを排除してみると、NHKしか残らないという消去法ゆえに、NHKを聞くことになる。
こうやって考えると、ラジオのCNNなんてなものを誰か発明してくれもんかと思ったりしないでもない。
さて、ここ1ケ月は師走ってやつなので、せわしくなるのは仕方ないにしても、どうもなんだか番組がうまくできてない。
と、いうのは、番組ナレーターやキャスターそれだけならなんとも感じないんだけれど、あらよっとゲストがきたときに、番組のペースがガクンと悪くなるのだ。
番組つきのスタッフはさ、毎日その番組の運営で食っているからいいんだけれども、ゲストさんはその番組のサイズ、雰囲気なんてなものには全然なれてないわけよ・・・ってなことを痛切に感じたのは、先だって日本のNGO関係の人が「特集・日本のNGO」みたいなラジオにでてたのね。
そのうちひとりのおばさんがひどくマイペースなのね。
キャスターは矢継早にがんばってるんだけれど、自分のペースでしかすすまないのね。そうこうしてる間に番組のエンドテーマが流れ始める。で、キャスターが気を効かせて「では最後に一言づつ・・・」としめくくりに入り、おじさんが一言スラリとまとめたんだけれど、おばさんの番になり、おばんさんは開口一番「言いたいことはふたつ!」と切り出し、持論を展開し始めた。
ああ、時間ないのに・・・なんてなことはリスナーにだってわかる。
だって毎日同じエンディングを聞いているんだから、もうあと30秒もないよってなことは雰囲気で理解できる。
なのにおばさんは自分のペースでトートーと持論を語っている。
毎日の、自分の生きてるスピードで語っている。
それでもなんとか言い終え、キャスターは冷や汗ものの一言おおまとめを仕上げたころ、エンディングはもう終りってな絶妙さだった。ふう・・とため息でも聞こえてきそうなところで、おばさんが「それにもうひとつ・・」と言ったところで、番組はフェードアウトした。
私は車内で「ばばぁ!!!」と
叫んでしまった。
周りをみない正直さに、ばばぁ!と叫んでしまった。
そのときはおばさんが悪いように感じたのだ。あくまでも番組に出る以上、キャスターの運営に沿ってあげるのがマナーのような気がしたのだ。
いやいや、でもまてよ。「あなたの話しが聞きたい」といってラジオの側が要望したとするのなら、出演者は「そうか、よし、ではたっぷりと」ってな気概もあるかもしれない。めったにないことなんだし、しっかり話したいって思うには思うのよ。
でもさ、番組は10分枠~30分枠しかないのね。
そこにおさめようともするのよ。
おっつけ、番組は「相手の言いたい量」に対して、「番組の使いたい量」しか受け付けないわけね。
『全部は言わせない』ことになるのよ。うん、わかるけど。
で、それはそうとして、せめてじゃあ「全部は言わせてないけれど、聞かせたいことだけはなんとか導いた」番組にするまでが実力なんじゃないの?って思うわけ。
それがプロってもんだと思うのだよ。それか、いっそ「全部いわせちまえ!」のどっちかであるべきだと。
が、そのラジオ番組はその両方に失敗した。
どっちもブサイクに終わってしまった。
NHKがこのごろ失敗してるなあ・・って思うのはテレビでも一緒で、対談なんかでも3人のゲストに一人のキャスターってスタイルだったりしても、VTRに入る間合いがやたらに番組進行表や香盤表にあわせようとしてたりして、その場の対談の雰囲気からズレてるなあってモロバレになっちまってたり、ゲストの本来もってるスキルに達するまもなく、番組が勝手にあらかじめ用意してたありきたりで陳腐な「テーマ」で一言でまとめたりと、どうも「予定調和」の方へひっぱろう、ひっぱろうとしてるのが、表に出始めてしまっているのだ。
少なくとも、昔は「隠そう」という努力があった。でも時代なのだろうか、ボロがでてきたというべきか、「失態!」でそのまま、ってのが増えてきた。
NHKは民放と違って非常に趣深い人のコメントがきける非常に良質のコラムタッチの番組がけっこうある。
ツマンネーアイドルやらJポップアーティストってのもほとんど出てこない。夜中1時過ぎの「ラジオ深夜便」にはたっぷりと専門家のコメントがきける時間もあり、それなんて知らなかったジャンルの、知らなかった人材が、ノビノビと話してて、質もボリュームも満点だ。
NHKが失敗してる・・・みたいなことを上に書いてしまっているけれど、本当は褒めたいのよ。
つーのは、民放の番組であふれる「アイドル」とか「タレント」の、あの「メディアずれ」しまくった、おさまりのいい、にぎやかだけで、しまりもなく、新しくもなく、スゴくもない連中の
時間ピッタリにキメる番組運びそのものが、モーすでに不愉快きわまりないのね。
わたしたちが圧倒的に多くのチャンネルで目にして、耳にしているのは「時間ぴったり」にできる、できあいのものばかりで、私たちが慣らされてるのが「テレビに見栄えるコメントやしぐさ」だったり、「誰が、どう変わっても、少なくとも『失敗』にはさせない『無難』のリアクション」のバリエーションである。
「人間のもつ、稀に見る魅力への肉迫!」を期待してる人間には今のメディアのからっぽぶりに閉口してしまうだろうし、「なにかないかな?」って努力よりも、さっさと離れてしまうのがもっとも精神面を健康に保てる方法だと思う。
NHKはいろんな、普段メディアに出て来られないような人を果敢に番組へ誘導してくれてるって意味において、私は賞さんに値すると思うし、そうした目線を磨いているからNHKは見ていて、聞いていて、心地よい。
民放はその点すっかり「番組のペース」をまるんと完成させちまっているばかりでとんと面白くない。
予定調和に吐き気を覚える気概が感じられる番組でもあればウハウハで見たり聞いたりできるのに。
それは一般の視聴者にも言えることで、このごろのテレビにでてくる視聴者のメディアずれのひどさは、「見苦しい」。
歯切れのいい返事や切り返し。一言ぽんとなげかける言葉へポンと返せる、やけに器用でスマートな若者。
会話が行き詰まりそうなときに逃げ出す芸風が用意できてて、会話の苦手な人でもひとつやふたつは準備できてるオヤジギャグやシモねた。どれも奇抜さがなく、おさまりはいいんだけれど、その人そのものの理解にまったく役にたたなくて、「時間が無駄」だなって感じる。
ああ、なんか、うさんくさいなぁって思う。いや、うまくかえせる人が悪いもんじゃない。
生まれた時にビデオも写真もある世代の人間でいっぱいな日本だから、小さなころから「自分が見られる側」であることにはマナーのようなものができてるんだろうな。
せめてシラケさせない程度のふるまい。
そんなものでしか武装できないでいる自分ばっかりたまる人が増えてる。
世の中にはそんな段階でしかいない自分に焦ってもいない人が「大人」って顔して、平然といる。
悪くはない。悪、でもない。
私はラジオを聞くとき、テレビを見るとき、そこにいる人がその人独特で、ユニークで、魅力的であるのがいいなと思うし、そうしたものへ触れたときはラジオやテレビの前でにんまり笑っている。テキトーに「失敗のない」ものは心に毒であるだけで、避けるように努力する。
メディアの数は多い。トレンディドラマもジャニーズ系も巨乳アイドルも癒し系もうさんくさいのは、あの人たち本人への表現の努力を番組にも本人にも感じないからだ。
本性を全部暴露せよとはいわない。それでも、今の番組ずれした人達には出演ごとに発揮する自分を用意できてないって意味において、横着だと思う。(すべての人がそう、とはいえませんが)
だから冒頭のラジオにでてたおばさんへの「ばばぁ!」発言には二つの感情がこもっている。
ひとつは「番組クラッシャーのおばさんも、NHKもあかんやん!」って感情。
もうひとつは「そうだよな、ほんとはおばさんがそのペースでいられる番組がつくられるのが自然だよな」という発見への喜びと賛辞、の感情。
わたしたちの生活は、テレビの番組のようではありませんか?
15分、30分、1時間、なんてパケットサイズで生きていませんか?
器用に、ただ、やりくるだけの生き方をしてませんか?
「やりくり上手」は素敵ですが、「やりくり上手なだけ」はアホですよ。白痴ですよ。
ううん、悪いことじゃありませんよ。
それでも、自分が何に慣らされているか、は自覚あってもいいですよね。
つまらないものに慣れないこと。その方がいいです。
人、そのものがつまらないってことは絶対にないですから。
人を、ただ、あしらうだけの応じ方ばかり上手では面白くないです。