雰囲気の醸成で、スピンを試みるのは新旧共産政権が使う常套手段。
直に何か言うのではなく、周辺の検討材料を、偽物や虚言で覆い尽くして、偽情報の物量で囲い込むことで婉曲的な作用を勝ち取る姑息な手段。
権力信奉者に「テロルから幾度も逃げ果せた」とかを「神の加護」と異常に奉るのも、マッチョへの異常なほどの執着を見せるなど、加減を「通り越した」作用をヒットさせに来る。
思案することの面倒くささや、積み上げていく理論構築など「すっ飛ばした」とこの判断に逸らせて、結果だけもぎ取りにかからせる。
「正しさ」以外が決着につながる瀬戸際をうまくついた手口。
一旦決まれば、数年は足かせにできるものを敵対側に巣食わせるし、ましてやその扇動活動の成果は「向こうさんが多数決で自決したに過ぎない」ととぼけられるからね。うまくしたもんです。
こうはいっていいと思うんだけど「こーゆーの思いつけてる時点で矮小な思考だよね」とは言い放っていいと思う。思いつけもしない卑怯に満ち満ちてるものね。