精一杯が間に合わなくとも | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

「自分は災害に強い」と自負していた。だが、経験のない強く長い揺れにパニックになった。津波が来る恐れがあり、消防車両を運転して隣の地区に向かった。避難先の寺には、80人ほどの住民が不安な表情で肩を寄せ合っていた。

助ける側に回る人も、被災のうちの一人でもあった、とわかる書き出しです。

同じ人の一人として、いのちを大事にしたさを仕事にする見渡せ方は、有事には心強い。

人づてに「男性が建物に取り残されている」という具体的な情報を得た。落石や土砂崩れで車が通れないため、現場まで歩いた。がれきをかき分けたが、反応はなかった。1時間ほど続けても、状況は変わらない。その間も、救助要請は続々と届いた。「ごめんなさい、次の現場に向かいます」。埋まっているとみられる男性の息子にそう告げ、後ろ髪を引かれる思いで現場を後にした。その後、男性は遺体で見つかった。

この後、10人近くの救助を試みたが、救命はかなわなかった。遺体安置所になった公民館で、犠牲者の亡きがらと対面した時、「すみませんでした」とむせび泣いた。三日三晩、飲まず食わずで走り回ったが、「助けたい」という気持ちだけが空回りした。通信環境が回復した6日になって、ようやく自身の家族と連絡が取れた。

助けたさ、が人一倍胸にある勇気ある人が、それをここぞで「間に合ってない」と思う中を、精一杯で突き進んでいてもこうした葛藤が幾度も胸に去来する。

真っ暗な現場でひたすら土砂をかき分けている場面だ。生き埋めになっている人に呼び掛けても応答がない。自分の吐息だけが響く静寂の現場に、言いようのない恐怖を覚えた。  「助けを求めている人も、この静けさの中、独りぼっちで亡くなっていった。どれだけ苦しかっただろう。怖かっただろう」。毎晩、電気を消した寝室で、救えなかった人の最期を想像する。「忘れていないよ」と、彼らに思いを巡らせることが、せめてもの償いと考えたからだ。

比べるべくもないんですが、🐼が在阪時代に住んでた文化住宅を真下からガス爆発で喪失した翌日以降に、、人目の無い時間帯を見計って、焼け跡に手を突っ込んで、瓦礫と燃えがらの中から、「まだ使えそうなもの」や「焼け残った切れ端みたいな写真」を拾い出してた景色を思い出しました。

 

瓦礫にはガラス片も混ざってるのをつゆ知らず、気づけば私の両手は血だらけで、人っけのない中を両手血塗れになった、着替えもない人が、虚な顔つきで残骸の中を貪るみたいにかき回してた景色だったわけです。

 

見かねた人が、軍手をくださって、ようやく自分が今、異常状態にあるのを自覚しかけました。

生まれてから集めてきたものが、ガス爆発で全部燃えたり、焼け残ったり、をしたんです。大阪に住むためにために持って行くものは洗練してますから、大事にしてた洗練部分が燃えたわけです。

 

それらがなくなる虚無感。

 

本当に取り返しがつかない、という無力感。

 

焼け跡から、8ミリ映写機が残骸で出てきた時、私は迷わずにそれを拾い上げて仮部屋に持ち帰った上で「オブジェ」って言い張ったけれど、2日して「黒こげの映写機」を見てることで「募りあがる感情」が屋内ものだとなり始めて、元あった部屋の火災現場に再廃棄したのでした。

 

🐼は私物がなくなっただけで済み、こうして生きながらえられた。

けれど震災は人命が左右されている。

 

自分に何かできたかも、を後々悔いがあるのは避け得ないことなんだけれど・・・わかってるけれど・・・なんかできたんじゃないかって、どうしても、思ってしまう。

この切なさは、次への課題にもなるし、傷にもなり得る。

 

でも、ないことにはしたくないんだと思う。

 

P.S 後年、とあるリサイクルショップで、燃えた8ミリ映写機と同景気が丸々破格な価格で一揃い出てて、再購入しました。


実際、この映写機を提げて、令和の今に、マンガ講座で上映に使ったりしましたし。

 

一旦は喪失したことも、どこか無駄ではなかったと思える気がした再会でした。

 

起こったことはなくならないけれど、忘れるばかりじゃ、やはりさみしくもあります。


心が何かを、掴んでるんだと思うのです。