クレバーさの背中合わせに見える妙な冷淡 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
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みんなも無理しないでね!

🐼の父は聡明な人だったし手際もいいのだけれど、ほんの時折、理解できないほどの「構わなさ」を人に気付かれないまま放ってる景色を生前幾度か見かけた。


淡白なんですが、こっちが冷や冷やするくらい「かまわない」様は、別人格みたいに見えてくることがありました。

付き合いのいい人柄なので、決して差別とかみさげではないのは重々承知なんですけれど、それでも一種独特の違和感を香せてくるのです。しかも無自覚に。

 

親族内でも友人関係にあっても、クレバーさ(賢さ)を持ってたり、標榜する人が、妙なまでに常識外れな「冷淡さ」を見せるときが幾度も🐼は見受けてて、「なんであの態度取れるんだろう?」ってみやってるんですが、大抵はその誰もが無自覚で「それで済むものに構っとく必要無し」とカテゴライズしてるらしい。(とうの当人が無遠慮にそう振る舞っておいらっしゃるので、外野としては「らしい」、と推察するしかない)

 

つまり、てんで悪意も他意もなく、漫然とそうしてるのであって、気を使うとこじゃない、って割り切れちゃってる。

 

日常的にクレバーな方にそれを見受けます。世に言う賢い人がそれをやります。

🐼はそれがひどく鼻につくのです。

踏み込んで言うのなら、カチンときます。

 

悪い人じゃない人たちですので、恨んだり勇んだりもしませんが、まさに「パージ」みたいに、感情が途切れ切ってる様子が、どうにも空寒くていかんのです。

 

それって、そーゆー態度とっていいんでしたっけ?って大きな疑問符が頭上に点くのです。

 

あの時、たまたまのことかな・・・と流しもしますが、クレバーな方はその頻度高く、幾度かバッティングしますんで、それはクレバーな方全域の「仕様」なのだと思い至りました。

 

構っとくことの優先順位があるのでしょう。ささっと直感でそう振る舞うのでしょう。それらが無条件に日々の生活で「振る舞い」として所作になり、自然と「そこには構っとかない」をオートマチックで発揮してらっしゃる。

 

まあ、利発なのです。できる人なのです。

そして🐼には「そこが人として大事なとこなんじゃないの?」って妙に鼻につくってだけの話です。そここそ、ひと手間かけてや、って鼻息荒くしちゃうのです。お節介の仕様です。