オーバーマンキングゲイナーったら! | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数年以上前に書かれたエッセイの再掲載です)

 

オーバーマンキングゲイナーは豊かです。

このエッセイはオーバーマンキングゲイナーという作品の周りからイントロしますので、「作品のストーリー」とか「キャラへの愛!」を期待した向きの方は肩透かしなので、飛ばして下さいね。

 

 

富野監督はなんといいますか、リハビリに成功した感じがします。ちょっと前まで「ガンダムばかりじゃないのよ!」って叫んでた感じのする作品がもりもりあったのね。
ブレンパワードあたりから復帰の兆しがしたけれど、ターンエーガンダムで大人の貫禄みたいなものを作品に感じられたし、ゆとりのある作家に至ってしもたねー、とうれしいため息がもれちゃうのですな。

スカパーあたりでは近年「松本零二」「石ノ森章太郎」先生たちの過去の作品をアニメにしはじめているけれど、どれもなんだか「的」の外れた感じを受けてまして、手塚先生のやってきた流れの続きはやっぱり「宮崎アニメ」と「サンライズ」作品って流れに至ってるんじゃなかろーかね、などとひとりごちてまして、それも宮崎アニメが世界で受賞ラッシュのさなか、やはり富野監督の歩む「ホラ、日本ドまん中アニメ」みたいなカッコよさがこのごろやけにうれしくってね。「オーバーマンキングゲイナー」がみたくって仕方なかったのよ。

先だって先行試写版がビデオ化されたオーバーマンキングゲイナーでしたが、見事回収されてしまい、2/14にビデオ1、2がやっとレンタルされて、みすぼらしいレンタル屋をかけめぐり、翌日には無事5話まで見ることができました。

いや、これ、面白いわ。すごいすごい。面白かった。

 

 

一般の「ロボットアニメ」と富野作品はやっぱり別にできなくちゃいかんな。
人物描写のうまさ。人間くささの巧さにはホントに感嘆する。2時間検事ものドラマなんかより人物描写に長けてるし、そして時代に「向かっていく」姿勢を作品の端々にガッツある形で小出しにできるセンスがある。世の中に立ち向かっていく方法、っていうのかな。
ヒデー大人もたくさんいるし、いい加減な大人もたくさんいるし、熱血ってのもクダラネーと言い切れそうな主人公がいるし、今さら!といいながらもやっぱりハツラツとしたヒロインがいて、それらはスチロタイプな「コテコテあるある」キャラというよりも、ああ、きっと今の生活に至るまでに、語ってない「生きるための事情」があったんじゃないか?って予感させるしぐさや台詞があるのだ。

ほとんどの子供向けアニメではキャラクターが今、思ってる気持ちを「セリフ」に熱く、語る時ああ、このアニメ演出家は子供をバカにしやがって、と私は憤るのだ。子供はいいものと悪いものをかなりシビアに見分ける。アメリカのカートゥーンみたいに「ハイ、子供にはこれっぱかしで」という杓子定規でクッダラネー作品を連発されると、ホントに嫌んなっちゃう。

韓国映画で「シュリ」あたりからいいなぁ、と思えたように、思ってる感情を登場人物は全て語る必要無いのだ。

しぐさでいいのだ。怒ってるなら「ワタシ、怒ってるのよ!」なんて台詞じゃなく、ほおづえついて、ムスッとしてりゃいいのだ。

「ああ、この子は怒ったらきっと無口になって、かえっていろんなことを言わないで、相手に見せる子なんだな」って思えたらいいのだ。

それが子供向けアニメでは予定調和にマユをひそめて、口を大きくあけて、肩をいからせて、大声で叫んで「怒り爆発」みたいなことさせる。ばかにしすぎ。

富野監督はガンダム以降、少なくとも「子供バカにしすぎ演出」をしていない。

それどころか今の人が世の中に対面していくときに「こんなのどお?」という簡略な形ながらも指針っていうのかな、レシピっていうのかな、うまーいフレーズの1節を広げてみせてくれる。

この閉息感モリモリの世の中で、暴れるに足る空間と、それを許される無謀さを発揮できる地域は「ロシア」なんてピッタリじゃない?そんな中でポーンと出た人間ならある種の野性味は「必須」」になってくるし、どうしたって人間味のたっぷりしたものを体に取り込むことになるんだし、それができないところから、それができる人間像を見てるのはやっぱり楽しいし、嬉しいし、「あ、そうか、そーゆーのもアリだな」って思うじゃない?
それが「ものがたり」ってものの持つだいご味なんだし、本来発揮してほしい魅力じゃない?

「オーバーマンキングゲイナー」という作品はそれをやってる。1話1話にいくつかのモチーフとテーマがキチッとできてて、「毎週作るの大変!」的シノギのない秀作なのだ。


「キス」をめぐる話が4話にあるけど、あのミョーなドキドキ感が見ててうれしかった。
それはアニメのキャラクタの話、っていうより、日本の独特の倫理観の上に立つ独自のドキドキだと思う。学生恋愛まんがのエッセンスなのだ。それをロシアの、ツンドラ地方でロボットものの、アニメが、やっているのだ。つまり、「人物描写」の妙、をアニメがやっているのだ。それが富野監督のずーーーーーーっとやってきたお仕事の魅力だ。

ガンダムで「ククルス・ドアン」とか「シャリア・ブル」とかってやっぱり覚えているじゃないですか。

脇役で、たった1話で出なくなるのに。それを描けるセンスっすよ。
オーバーマンキングゲイナーなら5話の辻占いやってる女の子ですよ。そこに描かれる人間達の一生懸命な感じの素敵さ。主人公を通して、他の人物の「底」をみせる優しさ。

目線。ガンダムなら「シャア」はじめ「カイ」「ブライト」「スレッガー」「マクベ」ほら、脇役ばっかりなのに顔とか性格まで覚えていられるでしょう?
じゃあどうよ?「マシンブラスター」の敵役で悪者ロボットあやつってた男の死に際を記憶してる人なんていないでしょ?・・・・ね?そーゆーことよ。

オーバーマンキングゲイナーって作品はスタミナを提供してくれる。
私のビデオ棚はアニメとお芝居のビデオでパンパンですが、フリクリ、R.O.D、BIG BIZなどと並んで「オーバーマンキングゲイナー」があるとき、やはりそれを見返してしまうのだ。

何回見ても拾えるものがあるのだ。

この作品は伸びやかに生きる人間を見せる。どこそこを舞台にする、のではなく、どこに至っても、どっこい生きてる人間たちのふるまいを見せてくる。
畏縮しがちな生き方の中で、「こっちにこんなのもあるんだけどどお?」とまるで料理好きな奥さんがクッキーでも選ばせてくれるかのようなさりげなさで、生き方のひとつを差し出してくれる。

それそのものがいいものとかわるいもの、なんてなものじゃなく、まずは見せてくれるのだ。だから、まず、味わうのがいいのだ。

いやいやいや、ホントはこのエッセイでいってるようなウンチクはうさんくさいのだ。
実際「ザブングル系」のガチャガチャアニメなのだ。見てて楽しいもの。
楽しい作品っていいよ。やっぱり、元気出るもの。そう、元気でるの。