門外漢から見えてる「医療のなすこと」の姿勢 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
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みんなも無理しないでね!

 

私の父も内臓の皮膜が破れて苦悶した経験(腹膜播種はしゅ)をしてるので、この記事の切実は身につまされるものがあります。

市町村や勤務先で行われている集団がん検診は、厚労省の指針に従って実施されているが、早期がんの発見は期待してはいけない。毎年欠かさず検診を受けていたのに、「発見された時には、すでに進行がんだった」というケースが続出しているのだ。

う!今年初めて参加決めたってのにこれかよって感じです。

厚労省は、市町村などの集団がん検診について、「対象集団全体の死亡率を下げる」という目的を掲げているのだ。これを対策型検診と呼ぶ。

一方、「個人の死亡リスクを下げる」のは任意型検診であり、明確に区別されている。しかも、がん検診において「早期発見」には不利益があり、最優先事項ではないとしているのだ。

なぬ?

「がんには、放っておいても命を奪わないようなものがあり、検診では、そういうがんが非常に多く見つかる場合もあります。(中略)その人が治療を受けた場合、それは無駄な治療ですし、さらに一定の割合で副作用も生じてしまいます。これが実はよく起きる、検診の隠れた不利益といえます」(『がん検診は誤解だらけ』NHK出版より)

前検診部長らは、早期発見ができる検査は「過剰診断」の可能性があるため、必ずしも最善の検診ではないと主張して、集団全体の死亡率を下げる検査に固執した

うわ、なにこれ。騒いどくだけみたいになってる。

 

今わかってる材料だけから尚早に、治癒や敬遠するための無用な回避策に走るには、多分情報量が正当に出揃っておらず、過分に思いつきというか、思い込みに支出をねだるみたいな妙な気配を背景に感じますね。そうかそうか。

バリウム検査には、「偶発症」というリスクも隠されている。最も多いのは、バリウムが気管に入ってしまう「バリウム誤嚥ごえん」で、毎年1000件前後が発生している。

これは、誤嚥によって肺の中にバリウムが入り込んでしまうもので、呼吸困難や感染性肺炎、アナフィラキシーショックなどが起きる。しかも除去することは難しい。肺の中でバリウムが固まって、長期間滞留するケースもあるという。

肺の洗浄って叶わないんですよね。

入り込んだ異物は長らく肺機能を疎外するを遠慮しないから、息をしながら苦しむことになる。現代医学を持ってしても、繊細で密に入り組んだ肺組織の正常化は随分と「事態の把握」までで止まって見える。それほど難しい器官なのだろう。

 

コロナ禍でもエクモが大活躍が記憶に新しいが、あれだって「くたびれ切った肺の一時的な代替」を肩代わりするだけの機械であって、治療という作用そのものではない。

肺機能の回復が主眼に置かれ、永遠な治癒につながる決定打でもないし、トリアージめいてたコロナ禍の機材逼迫時には、「回復見込みのなさ」の患者から、台数の限られるエクモの他患者への有効活用が実際医療現場で起こるべくして起きた葛藤だった。

 

肺とか肝臓とか腎臓とか、代替のかなわぬ器官の大事な養生をもっと声高にしとく方がいいのかもしれません。この世界で今普通に働いてる時に「健康全般に気をつけとく」をかなえるのは無理でしょうね。むしろ「リタイア」してるくらいの人でしか、そこに気を使えとくリソース自体が存在していない。

 

なんとなれば健康を気遣いするために、社会活動の方を放棄するか、サボタージュをともわせないと、もはや手をつけないほうがましな時勢ですから。

 

オストメイトの「それに至る」までも「至った後」も生きてることに幸を覚えるも、やはり忸怩(じくじ)たる念は残るものです。当時の最善は疑いたくもないし、選択の余地が喫緊の時に見極められもしなかったであろうし。

 

それでも医療先や先生から「はっきりしなさ」を正直なインフォームドコンセントのうちに知る時など、なんともやりきれない気持ちになるのは本当だし、それでも生きてるんだから・・にフォーカスしなおしとくのも、「何かを見ないで置いておく」を決めたような後ろめたさも残る。

 

わかりきってれば安心、とも言いかねるのが医療の見極めの困難さですもの。

先生が全部わかってても、患者さんに最適量の説明と方向は先生の峻別がやはり有用で、一概に「正しく正確に」だけが医療ではなさを、日々の🐼の母の罹患中の今、やっぱり先生に心強い賢明と聡明さを覚えるのです。そこが信頼なわけで。

 

「その件は、ただ、そうであった」もまた医療の実相でもあるんですよね。そこをほじくり出すと、無用に心配も過分に囲ってしまうんです。信じる医療施設に向かっておけること・・・日頃の準備はまずここのような気がします。