なんでもできる時・・・できるとこまで突き詰めれてしまうのも人であり、止める理由はその人の意志に反するものかもしれないとき、やりおおせた先は幸いなのかなあ。
衝動がどの時その人に芽生えてて、発露を遮れない時、満たされる瞬間はあると思う。
ただまあ、人って時間の経過で人一人の性格自体が「別人」になるので、後年晩年に「なんでこんな・・・」なケースをよく見かける。
後悔も合点づく、とは言いつつ、取り返しのつかなさも衝動のツケなのでしょう。
大阪に言う「やってみなはれ」にしたって、どこか「大概にしときなはれや」が言える素地の上のものであって、極端は叶えられても応分なツケは見越しておくにやぶさかではないと思うのです。
かなう、っていうのは、それなりに苛酷なんです。