芸術が浸透しにくいお国柄だとか、国家の方針で芸術にさほど力も活況も期待しない、ってとこはあるでしょう。
それは芸術に価値を見出せないっていう正直の結実ですので、特段「そっか、わっかんねーか」で済ますほかないでしょう。
芸術大学出は、断固これがしくじってるし、バカだし、進歩も、新しさも捨てたんだな?としか思いません。
あのね、芸大出てるやつって、おっもしろいぜー?
全然世間でやってけない人から、うまく世相に乗る人まで、およそ「普通の人」がしない発想や、暴挙に、シンジらんないくらいの魅力や未来がふんだんに詰まっててさ、秀才とか真面目とかでは「太刀打ちできない」何かを打開する能力に富んでるよ。
有事にさ、こーゆー「得体の知れない」とこからも「パンチ、放てます!」なやつを、社会サイドが「取り込める」余裕やスタンスが、その社会の底上げや、機転の良さ、未知の開拓を果たさせる馬力になってくれる。
それは理屈でも賢さでも要領でもない。
「訳のわからなさ」がブレイクスルーさせられる手管だとしたら、その教養や養成はどこでやるんだと思う?
文化が担うのはさ、そうした人の内面が底知れない面白さで満ちてるって、「ここぞ!」を知ってて、体験がある人が、「これ大事!」ってなるから、しつらえるんです。
そうした「訳のわからなさ」は敵に回すより、内包しとくほうが数段格上でさ。
それは先の世界大戦で「エニグマを解析できたイギリスがドイツにこっそり勝った決め手」をひねくりだせたバイタリティみたいな、具体的な勝利なのにね。
そこを「損ねとく」だとは、なんたる愚かであろうか。
そこの狭量はね、致命傷になりかねんのよ。肉厚にしといて損はないのよ?