一国体の教義がまだ定まらぬうちの、黎明期にあってこそなのか、こうした言動に、こうした行動が伴えて、将来に禍根を残しかねない種まで探し当て、早期から警鐘を鳴らしながら、自らの信念に沿った学業の運営も果たす。
この気概は成熟後には持ち得ないもので、いうなれば荒野に近い大地が、地平の線まで見通せるさなかのときに、ここに満たすものの最初の種次第で、実りが生きることの向きさえ変えることを自らに課し・任じた人らの葛藤でもある。
その正誤は正直審判できるほどの教養も眼力も決裁権も持ち合わせていなおのがほとほと残念ではある。それでも将来を見越して「蓋をしにかかってくるもの」を見越して取り除きを謀るのは至極まっとうにも見受ける。
福沢先生の言質にも見て取れるんですが、いいよいいよな人らではないわけで、むしろ「やや過激」に事態に向き合え、なんとなれば物申すを辞さぬし行動も起こしてる。
そうした、社会形成を謀る際の土台になる醸成を怠るほどに、基盤ごとの沈下も想像に易いということなのでしょう。もういっちょ返せば、ここさえ堅牢であってくれることで、しのげたり、発展の促進を加速させもする岐路の決断でもある、ってことでしょう。