愛知の端っこにしてこうです。ましてや尾張地方は三河地区よりまだ活況のある方ですから。
そこをして、この子供のいなさ。
人口問題、とかいう捉え方では多分的が外れてて、ここまで人々が「生きていきにくさ」を放置し、目先の、今をかえりみて、「これ以降の時代に自分以上の苦労させたくないな・・・」と予見に足るものを「一斉にみんな感じた」からこうなる他がなかった。
事実、同じ時系列の世界にあって、人口の増えつづける国もあるわけで、日本の行ってきた「選択の仕方」の末がこれなのです。
しくじったものを直視し、改善を施す・・まですら、今の政治や市井の肌感覚に声をあげれてもいない・・・ある意味「今の行く末」をどこか達観し、やむなしの心地すら感じます。
国家の存亡のために子孫の存続があるでなし。
戦後日本の「未来を明るくする」人らが担ってくれたような、生きていく輝きを世相に現せぬ限り、先細りはペースアップすらあり得るわけです。
朝一仕事は信濃毎日の連載。「人口減社会の未来」についてこれから3週連続で書きます。最初は「家族形成がまた再開される」話です。非婚は「一人でも生きていけるくらい社会が安全で豊かになった」ことの自明の帰結です。人口減は文明の進歩の「果実」なのです。
— 内田樹 (@levinassien) 2024年5月16日