わかり合うってのはがまんのしあいっこではない | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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なにかがもう「我慢のならない」領域に、互いに入り込んでいくとき、「我慢する」=「寛容である」と誤認されたままを放置してやいまいかと思うときがあります。

 

我慢してなかった人はいないと思うんです。

価値観と日々の平穏を、その人なりに勘案して、摩擦のないところに落ち着かせようとするバイアスは、その人ごとに作用してるだろうし、皆無でもなかった。

 

けれど、いくらかの「我慢」を重ね合ってるもの同士が、摩擦っていう次元を乗り越えて、コンクリフト(衝突)するまでに「駒を進めざるを得なくなった」がこうした動画のフロントライン。

 

価値観の対峙はありえるし、距離をおいておく、も十分加味されたうえで、「これ以上は黙ってられない」に至ったとき、「ぶつかっておかない」は最善とも限らないときだってある。

 

メリハリつけたがったところで、価値観の違う者同士を「我慢のしあいっこ」以外に決着させるやりくちは、やり口がしくじってると思うのです。

 

白黒着いたところで、互いに幸せに得心してなさ・・・このどうしようもなさが、戦争までできちゃう原因だし、ここゆえんで始まるいさかいで死滅するが人類なら、死に絶えるべき種でしかなかったと露呈して済む話なのかも知れない。

 

さほど賢い種のやり口ではない。

周囲を見下げて、自身の溜飲を下げられる程度の生き様の生き物は、どの他の生き物にも迷惑となると思う。